1960年代の雑誌は週刊誌の時代となり、そこに執筆する人にはスピードが要求されるようになる。それはマンガ雑誌の世界も同様だった、というより連載漫画家の執筆量は単純に言うなら月刊誌時代の4倍になる訳だ。
杉浦茂は戦前から活躍していた漫画家で、戦後は児童向けナンセンスギャグ漫画を描き続けていた。
杉浦にも週刊誌からのオファーもあったようだが、年齢に伴う体力的問題からか週刊誌への移行を受けることはなく、更に時代の変化とは一線を画したその古風な作風もあって1950年代が杉浦茂の活躍のピークになってしまった。
その作風とは戦前からの単調なコマ割りと極度に単純化された線で描かれ、手塚治虫以降の複雑なストーリー展開がある訳ではなく、登場人物たちも悪いことをしても叩かれると「わあ、ごめんごめん」とすぐに改心するような、なんとものんびりした連中で、コミックやマンガというより漫画がより相応しい世界かもしれない。
それ故、刺激を求める読者には時代遅れと思われてしまったのだろう。しかし、その世界を味わえたなら独特のシュール感に浸る快感すら発見ができる訳で、マンガ家をはじめクリエイターの世界での人気は消えることはなかったようだ。
その杉浦も1970年代にはそのシュールさを生かしたようなブラックユーモア作品も発表してはいた。とはいえ後年になって後悔していたという。
そんな時代から取り残されたような杉浦茂の生活はどうなってしまうかというと、何故か数年周期でプチブームが起きて、その都度収入が入り2000年に亡くなるまで極端な生活苦を味わうことはなかったようだ。
単純な世界に浸れる杉浦茂の世界は、複雑な現実世界に疲れたときに味わう、またとない放心のひと時かもしれない。
ジブリ作品「平成狸合戦ぽんぽこ」の企画段階で、宮崎駿が高畑勲に提案したのが杉浦茂の「八百八だぬき」だったのだが、マジメ人間の高畑勲には全編ナンセンスギャグで出来ている杉浦作品は理解不能だったようで、この作品のどこが面白いの?と問いかけたという。マジメ人間にはギャグにも理屈付けが必要なようである。
