「ドクトル・ジバゴ」はロシア(当時はソビエト)人作家ボリス・パステルナークの原作で、ノーベル文学賞を受賞したものの、政府による革命に対して批判的だという理由の圧力で受賞辞退せざるを得なかった作品。それをデヴィッド・リーンが映画化した。
内容はロシア革命に翻弄される医師ジバゴの物語だが、観ていて何か妙な座りの悪さが出てきてしまう。
映画の大枠はジバゴの娘らしき少女に、ジバゴの兄が弟の顛末を語って聞かせる。その回想が映画として描かれる訳だが、その兄の知る由もないエピソードが現れるところに違和感を感じてしまうのだ。
それ故か、どうも出演者に感情移入することが難しく、映画は個人というより歴史の流れそのものが主役になっているように感じてならない。
その反動なのか次回作「ライアンの娘」は、それまでのリーン作品のように原作がある訳ではなく、「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」の脚本を担当したロバート・ボルトのオリジナル脚本による映画だった。
中心となるストーリーは、単なる人妻の不倫物語なのだが、アイルランド独立運動をからめて個々の人々を描いていく。その描写がしっかりしているので「ドクトル・ジバゴ」よりも映画的安定感を感じる。
ずっと組んできたフレディ・ヤングの的確なカメラやモーリス・ジャールの美しいが不安定な曲(誉め言葉)があり、見事な作品に思えるのだが、大型歴史絵巻ではなかったからか、どうも批評家受けや興収が悪かったようで、その後リーンは14年の間作品を発表しなかった(できなかった?)。
映画会社は儲けさせないと手のひらを返したように冷たいものだ。
