日本語ってあいまいな表現が多いって思う。


今日ふと思ったのが、言葉の投げかけについて。


地震の被災者へエールとして「頑張れ」って善意で送ったつもりでも、

被災者はそれで気分を害する ことがあるみたい…


そりゃそうだろうな


頑張れって何を?って思うかもしれんし。


なんか頑張れって言われると、それまでの自分がまるで頑張ってねえんじゃんかって思うかもしれんし、

これ以上頑張れって酷なこと言うなよって思うかもしれない。


それは、たぶん「頑張れ」って言葉があいまいでかなり抽象的なことばだからだと思う。


でもなんで日本人はこの表現を多用したがるだろう…


頑張るって表現は実は、日本にしかない独特なもんだと思う。


work hard

do one's best

hold out

try hard

stick to it

hang in there

go for it


「頑張れ」って言葉を英文で探すと上のような熟語がヒットした…

けど、どれもなんかピンとこない


そいう何ともいえない、あいまいな表現を日本人は好むんだろうな。


でも、便利な表現だから多用したがる…


だから、あいまいな表現なのに多用するから、ディスコミュニケーション(discommunication)が発生するし、

エールがエールじゃなくなっちまうんだろう…


エールやアドバイスってのはより具体性が求められる。

そうしないと、どうしていいかわからないことが多い。


今被災者に求められるのはメンタルケアだけど、必ずしも精神論やあいまいな表現の需要はないのかもしれない。需要がないのに供給するから、変なことになる。


被災者の正確な需要を読み取り、正確な情報や具体的行動について言及するのが、

真の思いやりなのでは?とふと思った…


今の状況にあいまいさは必要ない…

必要なのは、確かな方向性を示す具体的方法だ。



今回の地震で思ったことは、セルフ発電システムを高次元に実現するか、超大容量の電力を貯蔵しておけるプール技術の発達が不可欠だということ。


その中でもセルフ発電システムとして、運動エネルギーを効率よく電気エネルギーに変換できる方法が構築されれば最高だ。

そうすれば、人が勝手に動くだけで発電できる→スポーツイベントは同時にエコイベントにもなりうる。


現実的に不可能かもしれないけど、こうした動きが増えていけば、必ずよくなるので今回のような事態は避けられるような気がする…


人間死んでしまえば全て終わりだ…

財産を失えど、生きているからまたやりなおせる。


だから、生きているだけ自分は幸せなのか。

守られた入院生活を送れている自分は、十分幸せなんだから、通常の生活に戻ってあれしたいとか、これしたいとか思うのは贅沢なことなのかと思ってしまう。


ていうか、なんとなく地震の被災地を憂いていてボケてた感じだけど、俺は本当に元の生活に戻れるのか…

非常に不安だ。

なんか入院生活に慣れすぎて、マンネリ化しているし、目に見えた進展が感じられない。

順調…その言葉がかえってプレッシャーになる

このままうまくいけばいいと思うけど、確証はない。


早くもとの生活に戻りたい。被災地の人に比べたら、俺のこの思いに重みはないのかもしれん。


だけどそろそろいいじゃん…

まだ苦しめってか。

生きている分だけ、守られた生活おくれてる分だけ我慢しろって??


そう言われればそれまでだけど、自由に外を歩きたい。自然にふれたい。

何よりも仲間と一緒に時間を共有したい。

そういう幸せを願っちゃいけないのかな…


ていうか幸せっていったい何なんだ??

実に疑問だ…