私達は、だれでも感じる様に生まれた場所も時間も育った環境も全然違う。
そして、身長、体重、骨格、顔つき、全てが異なっている
一卵性双生児であっても、完全に同じとはいえない。
産まれながらにハンディを抱えて生きていかなければならない人もいる。
人生の途中でハンディを背負う事もある。
裕福な家庭に生まれ育ち何の苦労もなく暮らしている方もいる。
帰る家も寝る家もなく、路上で生活をされている方もいる。
戸籍すらなくこの社会では存在すら認められていない人もいる。
逃れ逃れて顔も名前も変え、住む場所も転々としてる方もいる。
戦争で武器を使って人と人で血を流し戦っている人もいる。
今、まさに出産寸前のお母さんもいる。
今際の際で家族に別れてをつげているおじいちゃんもいる。
朝の駅前のカフェで喧噪の中、つかの間、コーヒーを燻らせながら、交差する人の流れの中、反応による思いの連鎖がじっくりと、ゆっくりと、自分の中で感慨深く浸潤してくる。
それは、苦しみも喜びも経験への意味貸与を数限りなく行ってきたからに他なならない。
みんなみんな人生を時間を使って織り込んでいる。
男性
女性
子供
年配者
通勤途中の人
夜勤明けの人
今日が休みの人
通学途中の小学生
服装もそれぞれにカラーを現している。
見れば見る程、目に入れば入るほど、思いを馳せれば馳せるほど、人生を感じる。
そんな時がある。
自分の人生、いま、置かれた状況
海が地球すべてにつながっているように
コーヒーの香りとタバコの煙が交差する中で、、、、
その昔は、不公平だと思っていた。
平等なんかないじゃないかと、素で思っていた。
本当にシャウトに思う時もあった。
ただ、人生の中で進化を指標にするなら、順調とは感じなかった、葛藤のその日々らも今になって今の潤いを感じさせてくれる事になったエネルギーの一つなんだと感じる。
それでよかったなと思う。
風が心地よくそよいでいる。
小鳥が気持ちよく歌っている。
たまに、雨上がりの後のタイヤの跡をさせながら、車が通り過ぎいく。
それぞれはお互いに孤独だけど、それぞれはみんなに思いを馳せる事はできる。
結束して互助の精神で盛り上がる事もできる。
無邪気な子供のように楽しもう。
あらゆる事、試合のワンシーン、経過の一つの形。
バラバラに見える事で飽きさせない、
辿りつけないようで、単純な事で、、、
笑いも、涙も、怒りも、冷静さも、尊敬も崇高さも
嫉妬も、妬みも、憎しみも、その時々によってカラーを放って、
僕らを彩らせてくれている。
底も天井も広さも、その時々の条件の中で限界までゲージを広げている
限界はまた突破し続けている。
一つすべて
すべては一つ