こんな記事をんで、思いました。

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
知られざる文化と教育の「地域格差」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

この記事では、
よく言われる親の年収とかだけではなく、
地方の人と都会の人で、
絶望的な壁があることが記されています。
教育を受けられることが幸せだとも。

私は、大学生まで
いろいろなことを学ばせてもらって、
それなりに理解できることが
多いかもしれないので、
先天的に目や耳が不自由なかたよりも、
生活の困難さは低いと思われることがあります。
講演などでも、その手の質問は多いんです。

たしかに、まったく未知のものに対面し、
一体何をするものなのかも
わからない状態とは、また違う。

先天的だと、イメージしたり、空想したり、
が難しいのですが、
私は伝えてもらえれば
理解もイメージもできる。

すると、やはり私は後天なので、
楽なんじゃないか?と思われることが
あるんですよね。

でも、先天的、後天的には、それぞれ
まったく異なる困難があります。

私はそれなりに、大体のことはわかる。。
だけど、初対面の相手の人には、
私の障害の重さから、
「この子(私)は、ちゃんと理解できてるのか?」
と不安視され、
私としては悔しくて おかしくなりそうですが、
相手からしたらそうだよなあ、と何も言いません。

頭は働いているのに、
身体が思うように働いてくれないのです。

同じ内容のことを言ったところで、
私に対する信頼は、
昔の健常時代の私が言っているのとは、
まったく違って受け取られるのです。

そういう対外的な変化にもズタボロになり、
それならいろいろなことを考えてしまわないので、
それなりの教育を受けていないほうが、
幸せに暮らせていたのではないか?
とさえ思ってしまいます。

初めからないほうが、
あるという事を知らないから
発見の連続ができて幸せなのかもしれません。

この記事と似たような事が
障害の先天と後天の間にも
あるような気がしてしまいます。

別に大学に行かなくたって、
田舎で充分に幸せと
感じられる人もいるだろうし。

私はたいていのことは
言われればわかるだろうし、
できたと思うし、

今まで当たり前にやっていたことなのに、
見えないから、聞こえないから
ちゃんと動けないから
“できない”のです。

最初からできないわけではないことを
わかってもらいたいです。

そこを理解してもらえないことは多く、
さすがに、発狂しそうです。

私は、
お金を稼げるから幸せなわけでもないし、
勉強ができるから幸せなわけでもないし、
都会に住んでいるから幸せなわけでもない
と思います。

結局、わかりあえる人の存在があることが、
幸せなのかもね。

グチってすみません。

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