こんにちは🌞吉川正子(仮)です
鈴木軍の解散が哀しい😭😭😭😭😭
ペンネームの(仮)は、鈴木軍初期にユニット名を鈴木軍(仮)としていたことに由来しています
ついに!100回目の記事となりましたー!
日記も続かないアタクシにしてはようやっとる
ということで記念すべき100回目の記事は、10月の東北旅行、震災地を巡る旅の最終日です。この旅で最も行きたかった場所、それは仙石線の野蒜駅です
【野蒜駅】
乗り入れ路線
JR仙石線
JR仙石東北ライン
11年前の震災からひと月半たったときに、野蒜駅近くを訪問したことがあります。あれから野蒜駅やその近辺はどのようになっているのか気になっていました
まずは11年前のその時の様子を報告します
多少長くなりますので、飛ばして読んでもらっても大丈夫です
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、この野蒜駅がある東松島市は、津波により甚大な被害を受けました。当時、この付近を走っていた仙石線が津波にのまれてしまう事象もありました
当時、浦和レッズサポーターの仲間(仙台在住のため、「仙人」と呼ばれていた)が松島で働いており、野蒜の方々が避難していた避難所で災害ボランティアをしていました。夫くんと私で微力ながら支援物資を渡すためその避難所を訪問しました
Jリーグもいったん中止となりましたが、4月に試合を再開しました。ベガルタ仙台のホーム、ユアテックスタジアムでも4月29日に再開が決定しました。相手は…我らの浦和レッズ‼︎
浦和のサポーター同士でも支援物資を募り、仙台のサポーターに渡したようです。また、ガソリンは仙台で入れるな!水は買うな!(不足していたガソリンや水は現地の人のものという考え)お店が営業していたら食事やお土産を買って現地に金を落とせ!という御触れも出ていました
この4月29日に訪問しました
震災が起きてからひと月半経ったこともあって、水や食料よりも靴下や歯ブラシなどが不足しているとのことで、日用品を中心に持っていきました。現地でのゴミを減らすため、タグやシール等は取りました。また、現地の子どもたちに一人一人に渡せるように、お菓子を袋に分けて持っていきました
仙人の住んでいた地域で待ち合わせし、彼の車の後ろをついていって避難所まで案内してもらいました。途中の道路は地震の影響でガタガタで、夫くんも運転には気を使いました。斜めに倒れた標識、信号機も点灯していません。
避難所となっていた陸前大塚駅付近は被害があまりなく、大変驚きました。現地の方のお話ですと松島の島々がこの地域を守ってくれたそうです。反対に野蒜地区は拓けた浜の上に、鳴瀬川河口から津波が上がってきて被害が大きくなってしまったようです
震災からひと月半経っていたからでしょうか、避難所の方々は皆さんお元気そうでした。いろんなことを抱えているとは思いますが、悲壮さを見せないようにしていたのかもしれません
おはよーございます!
在来線ホームへ向かいます
さすが仙台、人が多い!
仙石東北ラインに乗車します
仙石東北ラインとは仙台駅から東北本線、塩釜駅付近から短絡線を経由して仙石線に乗り入れ、高城町駅から仙石線の石巻駅へ向かいます
仙石東北ラインのホームは東北本線と同じホームです。ちなみに仙石線ホームは離れた地下のホームです。初めての方は分かりにくいかもしれません
このホームは長いホームで、盛岡寄りが2番線、福島寄りが3番線ホームとなっています
3番線ホームには仙台空港アクセス線が発車を待っていました
振り返ると東北本線の小牛田行です
特急ひたちだ!仙台から品川まで行きます
仙石東北ラインのHB-E210系です
この型の車両は仙石東北ラインでしか走っていません。ディーゼルハイブリッドシステムの車両です
ちょっと疑問ですが、東北本線も仙石線も電化されているのになぜディーゼル⁈
東北本線→交流
仙石線→直流
と異なるシステムに対応するため、電気が関係ないディーゼル車両を使用しているそうです。
8:20 仙台駅を出発!
途中、貨物の車両基地みたいなところを通りました
塩釜駅から先は仙石線に入ります
海が見えてきました!
下にチラッと見える線路が仙石線です
高城町駅で上りの仙石線がいました
石巻市出身の石ノ森章太郎先生のアニメがデザインされています
松島やああ松島や松島や
松島は3年前に行きました。賑わいがあり、キレイな風景でした。アナゴ天丼美味しかったなー
8:54 野蒜駅に到着〜
車両をお見送り
野蒜駅は震災の影響で高台へ移転しました
以前野蒜駅があった方角を臨みます
現在の野蒜駅です。とてもキレイ
野蒜の街は全てではありませんが、高台へ移転したそうです
駅前にある奥松島イートプラザです
この奥松島イートプラザでは観光案内の他、こちらの特産品の購入、食事などができます
またレンタサイクルもあるということで、自転車を借りました
こちらが相棒です。電動自転車初めて乗る〜
自転車から降りて歩いて階段を降りていきます
気をつけて降りましょう!
到着〜
こちらは旧野蒜駅につくられた東松島市震災復興伝承館です。震災の被害を忘れないように、また復興の道のりなどを見学することができます
ここに来ることが今回の旅における最大の目的です
野蒜駅のプレートと…右上は…
ひ、ひえ〜あそこまで津波来たんか…
入口には3.11の野蒜駅の様子です
野蒜海岸では砂像が作られています。鳥取砂丘や石川県の千里浜などでも見られます
伝承館の中はシアター映像以外は撮影OK牧場d( ̄  ̄)です。まずは2階から。2階では震災の被害の状況を知ることができます
こちらは津波でひんまがった券売機です。下には野蒜駅の看板であったろう駅名がめちゃくちゃになっています
時計も当時のままです
こちらのシアターで映像を見ることができます
5分から10分くらいなので、見ていきました
著作権の関係とかあるかもしれませんので、あまり内容については語らない方がいいかと思います。しかし被害にあわれた方の話を聞いて、個人的にやはり涙してしまいました。化粧落ちる
2階のベランダからは海の方角を臨めます
1階は復興へ向けた道のりです
シアターでも様々な人たちが復興や震災を忘れないためにいろんな活動をされている様子を知ることができます
こちらから旧野蒜駅を見学できます
震災当時そのままに残しているそうです
写した場所がよくないのですが、実際はひんまがった線路も見られるようです
この椿の木は津波に負けずに残ったそうです
上屋があるところは被害が少なくみえるのですが…
こちらでは駅名板が曲がっています
電灯でしょうか。無惨に折れています
点字ブロックもめくれています
あの時私が見た野蒜駅は瓦礫でいっぱいでした
それを片付けるだけでも大変な労力だったと思います。震災の記憶を風化させないために地元の方の努力がうかがえます
今回、東松島市震災復興伝承館を見学して、改めて「水の怖さ」を感じました。現在は津波だけでなく、豪雨災害も日本のあちこちで起きています。ほんと、水の威力というのはものすごく、決してなめてかかってはいけないと思いました
ただ、その時自分がどのような行動をとるかわかりません。いざという時のために家族で話し合っておくことがとても必要だと思います
伝承館を後にし、野蒜海岸へ向かいます
とても広々とした砂浜です
岩などの障害物もなく、これでは津波の被害も強大だったのでしょう
さらに南下するといわゆる「奥松島」へ行けるようですが、時間の都合上断念。今度は行きたいです
野蒜駅へ戻ってきました
11:12 野蒜駅を出発!
途中の高城町駅でまたもや仙石線の石ノ森章太郎先生トレインが来た!こっちに乗ろう!
さるとびエッちゃんだ〜(年バレる)
12:08 仙台駅に到着〜
発車メロディはハウンドドックのフォルティシモです
もう旅も終わりが近づいています
お昼を食べに行こう
仙台駅すし通り、仙令鮨で食べよう
仙台駅へ来た時は、立ち食い鮨の仙令鮨さんでいただきます。前身の北辰鮨からいつもここです。珍しいネタもいただけますし、立ち食いで客回転も早いのです
がしかし…旅行割の影響で仙台駅はとてつもない人混み!牛タン屋も寿司屋もものすごい行列!仙令鮨さんも例外にもれず大行列でした。こんなの待っていたら新幹線に乗り遅れるレベル😱
列が全然進まない様子を見て、今回の仙令鮨は断念。そんなら駅弁とか買って待合所で食べよう
石巻名物金華鯖!鯖大好き💕
うおー、食べ応えありそう!本来はお土産用で2、3人で食べるものかも。鯖好きだし、すげー美味しかったから一人で食べちゃったけど
新幹線ホームへ行くとE2系が停まっていました。後続のやまびこ号です
東北ともお別れです
はやぶさ号に乗車します
あー新幹線の駅名板…楽しかったなぁ
10分ほど遅れてはやぶさ号が到着!
無事、大宮駅に到着〜
専用道などのシステムが面白いBRT
盛駅近くの美味しいハンバーガー
DD56機関車がカッコいい岩手開発鉄道
地域密着で食も景色も美味しい三陸鉄道
村を守った普代水門(と蛾さん)
海岸線ギリギリを走る八戸線
モーリーちゃんに会いたい青い森鉄道
山あいと都市部を走る変化あるIGR
こまち型車両のはやぶさ
フルーツパフェと友人との楽しいひと時
被災当時の姿を残している旧野蒜駅
91歳で一人旅のおばあちゃんと出会い
宮城県、岩手県、青森県少しだけですが、 3日間でこんなにたくさんの思い出ができました