台風でしたね、からばこです。この記事は先週金曜日の日中に書かれたものです。

書いた直後にアップ!みたいなことをやらなくなったので、こうして記事にタイムラグが発生します。まあそんなこともあるよね。

 

現在(金曜14時半ごろ)は特に何もなさそうで拍子抜けしていますが、九州で生まれ育った頃の記憶を思い返すと、過剰に恐れておいてちょうどいいくらいです。沖縄はもちろん、宮崎鹿児島はよく上陸して大変でしたし、たまに住んでいる佐賀県にヒットすると、それはもうびゅーって!びゅーって!という具合でしたし。備えあれば憂いなしではありませんが、最近は事前運休になったり、在宅勤務や臨時休業になったりと、台風への構えが進んできたと感じます。交通網を筆頭に、色々なものが密集している東京にバカデカ台風が直撃すると大変なので、安全に過ごしておきましょう。今日は家にいます。

にしても台風の進路もふらふらするようになりましたね。昔……20年くらい前は、沖縄を通って宮崎鹿児島あたりに上陸して、福岡あたりで偏西風に乗って西に行き、日本海側に抜けてぐっばいが基本ルートでしたが、最近はいきなり大阪に来たり、今回のように東京千葉に来たり、下手すれば東北に上陸したりしています。台風も人生ならぬ台風生に悩んでいるのでしょうか。普通に考えれば温暖化なり異常気象なりが原因なのでしょうけれど、台風にも色々あるのね、と考えたりします。

 

(こういう台風って九州名物だったんですよね)

 

2011年、大学進学に伴い関東に来て驚いたのが、家に雨戸が無いことでした。九州の実家や祖父母の家には当たり前に備え付けられていたので、賃貸アパートの窓に雨戸なくて、台風が来たときにどうしたものだろうと、18歳の私は不安になったのをよく覚えています。その不安は東日本大震災の余震に伴う緊急地震速報に上書きされてそれきりです。台風も怖ければ地震も怖い。

「台風大国の沖縄は全体的に屋根が低くて瓦が飛ばないようになっている」とか、「合掌造りの急傾斜は雪の重みで家が潰れるのを防ぐため」とか、中学受験の社会科で日本全国の住居の特徴を勉強しましたが、いざ改めて九州を出ると、本当に地域ごとに色々あるのねと実感しました。北海道の信号機は雪対策で全部縦で、側溝が見えるよう標識があるとか、もそうでしょうか。そういう「知識としては知っているけれど、実際には見たことがないもの」は自分の中にたくさんあり、それを一つ一つ、見た、聞いた、触れた、食べたなどなどで血肉になっていくのは、何とも言えない心地よい快楽なわけです。「あー本当にそうなんだ」みたいな。多分賃貸だから無いんでしょうけど。

社会科分野に限らず、理科とか保健体育とかにも、きっとそういうものがたくさんあるのでしょう。自分の手のひらと知識の範囲は非常に狭くて、読み聞きで補えるとはいえ、やはり経験に勝るものはなかなかない。でも、読み聞きでそのような分野があることを知れるからこそ、実際に触れてみたいという好奇心が芽生え、いざその機会が訪れると、ワクワクドキドキするものでもあるわけです。私は日常のペースを乱されることを過度に怖がってしまい、新しいことへのハードルは何かと高いのですが、それでも未知のものへの恐怖より、好奇心の方が勝る自分も確かにいます。その二面性と上手にお付き合いするのが、難しかったり楽しかったり。

 

最近、WIXOSSBOXのディーセレルリグ解説を最新版にアップデートしました。

lothに登場したるう子やひとえまでを書き足し、缶バッジ一覧にも更新しています。サイト5周年に更新したきりで、まああれも自己満足よろしくほったらかしていましたが、どうやら需要があるようで、重い腰を上げて更新した次第です。もうちょっと言えば「このページを初心者さんに布教したいんだけど更新の予定ありませんか」とお問い合わせがあったので、合間合間に書き溜めていたあれやこれやをぎゅっと更新した、という背景があります。ご連絡ありがとうございました助かります。

あの手の解説を書くにあたっては、一応全ルリグのデッキに触れる、ないし対戦しています。自分の中で「取材」と称する作業で、それを経ないでは書けないし伝えられないので、深度は大したことはなくても、素人として手を触れたうえで、それなりに咀嚼し、書いています。今までやってきたアカデミーや遊々亭はもうちょっとしっかりやりますが、まあWIXOSSBOXは趣味なので、自分なりの取材活動を通っていればよいかな、くらいの温度感です。

仕事や環境が変わった2023年ごろのデッキから、どうしても正確さと深度が今一つになっている印象は否めません。アカデミーなどを離れたことが、自分のウィクロスへの熱量をどう左右するかはわかりませんが、解説への需要はどうやらあるようですし、自分としても「未知に触れて、それを文字にする」という作業は大好きなので、その趣味を続けるためにも、新弾では5ルリグきっちり触れておきたいところです。「触れなければ」が「触れたいなあ」という、柔らかくてふわふわした感覚になっていることへの良し悪しは、今後文字に出てくることでしょう。楽しみですね。

 

「できない」が「できる」に変わっていくのはとても楽しくて充実していますし、自分の頭の中にあるものが形になる過程から得られる快楽は、私にとってなかなか代えがたいものがあります。

最近久しぶりにピアノを弾きました。むしょーに弾きたくなって、都内のレンタルスタジオでぽろりらぱらりらと弾いてきました。1時間1200円と、高いんだか安いんだかの金額で、防音室でみっちり弾ける場所を見つけたので、ちょっとしばらく通い詰めようかなと考えています。アップライトピアノだけれど、いやいや電子ピアノとは音が違う……。腹にずんぐりと沁みる……。グランドピアノも借りられますが、値段が倍するので、まあそれは追々。

ピアノは3〜4歳から小4までやっていました。親の影響で習っていて、なんだかコンサートだかコンクールだかにも出て、それなりに弾けていました。ハードなレッスンも多く、一生分は泣いたんじゃないかと思うくらいには泣きましたが、それでも今は音楽は好きで、特にピアノの音色は背筋が伸びますし、落ち着きます。多分胎児の頃から聞いてたんでしょうな。

ピアノも「できないができるに変わる」の象徴そのものです。楽譜を読んで音を理解し、指を動かして弾けるようになり、そこから表現を極めていくわけで、数多の「できない」を「できる」に変えていくプロセスが凝縮しています。果てしなく上の世界になれば「才能」とか「センス」の領域もあるでしょうけれど、私がいる浅瀬では、「できない」理由の99%は、「自分の努力が足りないから」ですし、「できない」の100%は、「やるまでやればできる」ものです。だから好きなのです。

弾けないところは弾けるようになるまで繰り返せば弾けるようになりますし、弾けるようになるまで繰り返しても弾けるようにないのであれば、弾けるようになるまで弾けばいいわけです。進次郎構文のようですがまあ 本当にそうで、鍵盤に向かって涙を流していたのは、レッスンがしんどかったからとか先生が怖かったからではなく、「できない自分が嫌だったから」なのだなと、ある時気がついたことをよく覚えています。

 

社会に出てボコボコにされ、カードゲームの世界でもボコボコに負け続けている私です。そこら辺は相手がいることなので仕方ありませんが、こと楽器であれば向き合う相手は自分だけなので、弾けるようになるまで、できるようになるまで、ひたすら歯を食いしばって鍵盤と向き合っていれば、いつかはなんとかなるわけで……。それを知っているからか、なんだか色々と苦しくなったとき、詰まったとき、無性にピアノの前に座りたくなるのです。あと、人と関わりたくなくなったときとか……。

願うなら家にグランドピアノが……、アップライトピアノでもいいから欲しいんですけれど、私のおちん●んでは東京暮らしでそれは無理。一度電子ピアノを手放した経験もあり、家族のお許しは出ておりませんので、飽きずに3曲くらい弾けるようになるまでは、狭い部屋に通うことにしましょうね。

 

久しぶりに書いて満足しました。

最近はトムとジェリー展に行きました。彼らはよくピアノを弾くので、それに触発された経緯もあります。なんであの猫はリストとか弾けるんですか。初めて楽譜見ましたが卒倒しました。これはレベルが高すぎるというか異次元が過ぎるだろ。私は素直にできるところからやります。

 

(最近お熱なコンテンツ)

 

ではまた次回の更新で。

《DEEP FREEZE》であれこれするロストコード・ピルルクを組んで遊んだので、次はそれでも書きましょうかね。