からばこです。
松本碧がみんなの書き物を読みたい Advent Calendar 2021」の6日目の担当になります。
タイムラインにこの企画が流れてきて、「面白そうだなあ」となんとなくつぶやいたら、主催の松本さんに「やれ!」と言われて、震えながら書いている次第です。嘘です「ぜひ参加してください!」とお誘いいただきました。ありがとうございます。
私も「ウィクロスアドベントカレンダー」なる妄想はしていたのですが、持ち前のコミュ障で企画倒れとなりました。来年は25人集めて、超絶大規模なやつをやってみたいですね。5日に1回くらいにビッグネーム呼んでさ。

というわけで私のテーマは「人生が終わる瞬間」です。
話題が話題なので、お食事中に読むことは控えてね。


(オワタ)

個人的な話になりますが、私は昔からお腹が弱いんです。
過敏性腸症候群とか持病はありませんが、とにかくお腹が弱い。いつ腹痛が襲来するかわからないので、出先ではお手洗いの確保が最優先事項となっています。
カードゲーム関連で頻繁に行く秋葉原においてもそれは変わらず。カードショップの地図と同様、私の頭の中には「空いているお手洗いMAPin秋葉原」が作られています。腹部から緊急事態宣言が発令されたとしても、そこに向かえば人生が終わることは避けられます。多少待つことはあったとしても、家電量販店や駅の大渋滞に比べればなんてことはありません。穴場はパチンコ屋の上階で、ラジ館や家電量販店はNGです。

1日カードショップで遊ぶことがあっても、優先されるはお手洗いに行きやすい場所です。多少フリースペースの入場料が高かろうが椅子がガタついてようが、「確実に入れるお手洗い」に比べれば、その欠点は微々たるもの。先攻ワンキルされようとも有効ライフバーストが見えなくても、「お手洗いに入れずに人生終わった」が発生しないことが何よりの優先事項です。
いつもありがとうイエサブ。店内にお手洗いがあるという点で、あなたは最高の店舗です。本当にありがとう。

そんなこんなで病める時も健やかなる時も、弱いお腹と人生を歩んできて20と9年。ですがその日々は決して、平坦な道のりではありませんでした。コロナ禍における緊急事態宣言が日常になったのと同様、私の腹部からの緊急事態宣言も、結構頻繁に発令されています。だいたい週に1回くらい。
発令の際は速やかにお手洗いの個室に逃げ込み、所定の振る舞いをすることで宣言を解除することができます。しかしそうもいかない状況も多々あるわけですね。電車の中とか、個室に長蛇の列ができているとか、対面が【アルハイウリス】のセレモニーとか。そんな絶望的な状況を前に私ができることといえば、ただ耐えるだけでしょう。腹部に力を入れ、臀部のゲートを密にして、「不要不急の外出は控えてください!」とゲート前で暴れる連中に呼びかけるばかり。その呼びかけは私達がよく知る緊急事態宣言と異なり、もうものすんごい強制力や法的拘束力を伴いますが、いつまでも効力が保たれるものではございません。暴動を起こされる前に、体の持ち主はお手洗いの個室を見つけ出さねばいけないわけです。

 

(重大な局面を迎えていますからね)

まあそんなこんなで個室に飛び込み、下半身をフリーにしてゲートを解き放つことで、緊急事態宣言は無事解除されます。
腹部に伴っていた緊張感や額の冷や汗はスッと引いていくと同時に、発展した文明の象徴たる下水道の入り口に、今にも暴動を起こしそうであった悪漢たちは叩き込まれるわけです。レバーを引くと同時に響く水音とともに、「よかった、今日も人生が終わることはなかった」という安心感が、私の胸に流れ込んでいきます。そして石鹸での手洗いを済ませ、何食わぬ顔でまた日常に戻る、と。そんな日々を積み重ねて参りました。
年齢が一桁の頃は暴動に屈して人生が終わることもあったと記憶していますし、二桁になっても人生の危機は両手両足では数え切れないほど迎えておりましたが、人生が終わることなく続いているというのは、本当に奇跡的なことです。

個室では「考える人」の構えになるからか、時に世界の心理に触れるような経験をすることもあります。
今回の執筆のきっかけでもありますが、「これだけたくさんの人間が往来している社会において、どうして人生が終わる瞬間を見たことがないのだろう」と、本当に不思議に思ってしまうわけです。

 

(う〜ん)

私たち人間は人間である以前に、ヒトという生命体です。
食事をし、食物から栄養素を吸収し、不要になったものを排出していくというシステムで生きています。
それゆえに街を行き交う行く人々の腹部に、そのシステムに必要な臓器と一定の処理をされたものが詰まっているということは、今更言葉にするまでもなく自明のことです。デスノートでミサミサが「アイドルう●ちしないし」と言い放ってはいますが、それはあくまで理想であり、残念ながらヒトという生命体である以上、色々と詰まっているわけです。私が知らないだけで「アイドル」という生命体には、独自のシステムが成立しているかもしれませんが、そこは否定しておきましょう。

とにかく人々は、そんな風に色々詰まっていることを他者に思わせることなく、無表情で街を歩いています。
でも、これだけの人が往来しているのであれば、1人くらいは腹部からの緊急事態宣言と戦っている人がいたっておかしくないでしょう。「仕事やだなあ」「これからデートだ」「受験勉強頑張ろう」と様々な考えを持った人が歩く中、1人くらいは「トイレどこおおおおおお!!!!!」と脳内で絶叫している人がいるのかなと、個室でふと思うわけです。
ツンと澄ましていても、ニコニコ笑顔だとしても、その脳内では「トイレどこおおおおおお!!!!!」の可能性があります。だってにんげんだもの。いつ襲来されるかわかりませんから。

お手洗いを求める脳内の叫びは一定ではなく、時によって変わっていくものなのかもしれません。
「家を出る前にトイレ行っておけばよかった」という後悔から、「昨日の牛乳がまずかったかな」という反省、「大丈夫大丈夫耐えられる耐えられる」というポジティブシンキング、「もうダメかもしれない」という諦念など、澄まし顔からは想像できないほどに、コロコロと二転三転するものでしょう。それは腹部への緊急事態宣言に伴うものであり、暴動をなだめるためには様々な言語が必要だからなのです。要約すると「トイレ行きたい」という願いと、「このままでは人生が終わる」という絶望のMIXですが、それだけでは耐えられないがゆえ、様々な言語に翻訳されているわけでしょう。

とはいえ、とはいえです。
文明社会に組み込まれた我々は、ありとあらゆる手段を講じて「人生の終わり」を回避し続けています。自分の人生が終わる瞬間もですが、他者の人生が終わる瞬間を目撃したことはほとんどありません。もしかしたら何度も何度も目撃する、変わった運を持つ人もいるかもしれませんが、多くの方は「見たことないなあ」とおっしゃることでしょう。

それはよくよく考えてみると、本当に、本当に奇跡的な確率ではないでしょうか。
何十万人何百万人が共に文明を成り立たせているこの社会で、人生が終わる瞬間が訪れないということ。それは奇跡です。
と同時に、この社会は非常にギリギリの均衡で成り立っていることの裏返しでもあります。いつ、どこで、誰が足を踏み外すか。本当にわからない危ういバランスにおいて、人間社会は成り立っているのです。
それだけ人生とは奇跡的なものであり、いついかなる時もふとした瞬間に、足元からガラガラと崩れ落ちてしまうという危機的なものでもある、とも言えるのです。

(これ)

今成り立っている自分の人生は、こうした日々の当たり前の行動においても、一瞬で壊れる危険性をはらんでいる、もろく儚いものです。別にお手洗い一つに限らず、いつどんな瞬間に、今の日々が崩れ去ってしまうかはわかりません。社会的な死でも身体的な死でも限らず、当たり前のように過ごした今日が、明日も同じように訪れるという事実はどこにもないんですね。
だからこそ一日一日を大切にしていきていかなければ行けないんだと、個室で腹部を解き放つたびに、私は強く、誓いを新たにしています。カードショップに、家電量販店に、パチンコ屋に、駅に、居酒屋に……。日本に無数に設置されている、臀部がぽっかりと空いた白い椅子に腰掛けて、個室で一人「今日も社会的に生きていける喜びに感謝」と、なんとなく前を見定めたりしているわけです。下腹部を露わにしながらですが。

そして「誰かが待っているかもしれないから、あんまり長居しないほうが良いよね」と、名前も知らぬ誰かに優しくもなれます。
腹部の緊急事態宣言が発令されている人にとっての何よりの絶望は、やっとたどり着いたお手洗いの個室が全て埋まっていること。「膝から崩れ落ちそうになる」という慣用句は、全ての扉が閉ざされ、壁一面が同じ色で染まっている光景を前にした時にこそふさわしいのです。その絶望を救うのは、ペーパーを引き出す音、ベルトやファスナーをしめる音、水を流し、扉のロックがガチャリと外される音だけ。まさに<祝福の鍵の音>です。その絶望を知っているからこそ、個室に長居しないという思いやりの心が芽生えるわけです。
カードゲーマーたるもの、重要な局面以外での遅延は控えたいですよね。それは対戦の場のみならず、日々の生活でも同じこと。解放という重要な局面を終えたら、速やかに<祝福の鍵の音>を発動し、すっと立ち去るのも美徳です。自分がされて嫌なことは、カードゲームの盤面を除いては人にしない。1億2千万の奇跡の上に成り立つ社会で生きる一人の人間として、個室における無駄な遅延は控えたいなと、誓いを新たにするわけです。

(さあ、ごいっしょに)

だから、頼む、個室で遅延しないで。
カードゲームの対戦では多少許されても、個室は本当にやべえんだ。勝ち点3より失うものが大きすぎるんだ。
出すもの出したら、すぐに個室から出てください。以上、お腹が弱い私からの叫びでした。


おしまい!