星降る島のサンクチュアリ ≪1≫

 


そこは、白い砂浜ときらめくさざ波の打ち寄せる島。

その美しさに魅せられ打ち上げられた難破船が、悠久の時を超え静かに眠る島。

切り立った崖を背に、深く透明な海に かいな を広げる島。
もう一度ここを訪れたいなら小石をひとつ持ち帰りなさい、そうすれば、必ず戻って来られるから・・・そんな美しい言い伝えの残る島。

そこは星の降る島・・・シジンとモヨンの思い出のサンクチュアリ。

今、帰ろう・・・来世も会いに行くと約束を交わしたあの島へ。
涙で濡れた瞼の裏にあの景色が見えたなら、もう迷うことはない。
握りしめた星の欠片のような小石が、きっと導いてくれるはず。
そう、懐かしいあの場所へ・・・そして互いの愛おしい腕の中へ・・・きっと。

 

 

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「ソン先輩!あとは任せた!・・・お願い、もう解放して!」
モヨンは、先輩医師ソン・サンヒョンの前で懇願するように手をすり合わせると、返事も聞かずに白衣を脱ぎ始めた。

「おお、そうか。今日はデートだって言ってたな?・・・ユ大尉、じゃなかったユ少領によろしくな!」
ソン医師は、行け行けと言うように手をひらひらと振りながら言った。

「もう!・・・デートだって知ってるくせに急患を私に押し付けて!・・・もう1時間も遅刻よ」
モヨンは、にやにやしているソン医師をひと睨みすると”ICU”と白抜きされたガラスの扉を開けて飛び出した。


病院の廊下を急ぎ足で出口へ向かって行く。
それでも、今やこのヘソン病院の顔とも言えるカン・モヨンが通れば、すれ違う患者や同僚たちから次々と声がかかる・・・

 

「カン先生!・・・この前のテレビ見たよ。相変わらず奇麗だね~。」
「あ、ありがとうございます」
入院している年配の担当患者が、車いすの上から手を振っている。

 

「カン・モヨン!・・・カナダでは予想外の救護活動で大変だったみたいだね~帰ったばかりなのに休む暇もなしかい?」
「あっ教授、お疲れ様です。ホントですよ~この病院、人使いが荒すぎです!教授から理事長に言ってくれませんか?・・・」
あははと愛想笑いを浮かべる教授の前でも、モヨンは立ち止まることなく出口に向かった。

 

「先輩!・・・ユ少領とデートでしょ?そんなかっこでいいんですか?口紅も取れちゃって、髪の毛くらい整えなきゃ!」
レジデンスのイ・チフンが人差し指をチッチと振りながら近づいてくる。

 

「何言ってるのよ!誰かさんが遅刻するから、私が急患を診る羽目になったんでしょ?本当ならちゃんと支度をする時間があったはずなのよ!・・・もう!歯を食いしばれ!」
チフンは、カチっと歯を合わせると、そのままもごもごと「だって、子供が熱出しちゃって・・・」と言いながら逃げて行った。


「カン先生お疲れ様です・・・あっ!!」
看護士のチェ・ミンジから声がかかった。
モヨンも「お先に・・・」と笑顔で答えてそのまま通り過ぎようとした瞬間、ミンジが持っていた点滴のパックを落としそうになり、モヨンは、すんでのところでそれを受け止めた。
「一度にこんなに持つからよ。気を付けて」
モヨンは、叱るわけでもなく笑いながらミンジの腕の中に点滴パックを戻しながらバランスよく並べ替えてやった。

「すみません!・・・あっ、そういえばカン先生、聞きました?明日から来る新しい先生のこと。」
ミンジが、立ち止まったついでにといった風に話を始めた。
「えっ?・・・聞いてないけど。」
モヨンは、初めて聞く話に思わず急いでいたことも忘れて聞き返した。

「なんだ、ミョンイ大出身の先生だって言ってたから、カン先生なら知ってるかなと思ったのに・・・かっこいい先生ならいいな。」
ミンジが残念そうに唇を尖らせた。
「へえ、うちの大学なんだ?・・・誰だろ?先輩かな、後輩かな・・・先輩だと面倒だな・・・」
モヨンは首を傾げた。

「そんなことより、カン先生急いでたんじゃないですか?・・・引き止めちゃってごめんなさい」
「そ、そうよ!彼を待たせてるの・・・じゃあまたね。」
モヨンは我に返ると、あわてて病院の外に出た。
ひと先ず立ち止まって、ポケットからスマホを取り出すと、どこかで待っているはずのユ・シジンにメッセージを送る。
{今終わった!! 待たせてごめん。どこ?}

{いつものカフェ}
すぐに返信が来た。

{OK、5分で行くわ}

 

ユ・シジンは、スマホの画面に向かって微笑んだ。
丸めた白衣を抱えて、病院から走り出してくるモヨンの姿が容易に想像できた。

久しぶりの休暇、今日ばかりは非常作戦からも外され、司令部からの電話もまずかかっては来ない。
ゆっくり朝寝坊をして何か月ぶりかで父の顔を見に行った。
その後、日勤を終えて上がってくるはずのモヨンを迎えに来たのだが、急患を診ていて遅れると連絡が来たので、病院近くのカフェで時間を潰していた。
 

お互い、軍人と医者という職業上、仕事のせいで時間を守れなくても怒らないのは暗黙の了解だ。
それどころかすっぽかしもドタキャンも数限りなく、約束通りに会えてもほとんど会話もしない内に呼び戻されることもしばしばだ。

「一時間くらいの待ちぼうけ、何でもないですよ、モヨンさん。」
シジンは、スマホに向かって小さくつぶやくと、それでもすでに空になっているカップと混み始めた店内を見回してすぐに返事を返した。

{急がなくていいですよ 僕もそちらへ向かうから}

カフェを出て、ヘソン病院に向かって急ぎ足で歩いて行く。
すると、病院からまっすぐ続く車道の反対側の歩道をこちらに向かって走って来るモヨンが小さく見えた。

―やっぱり走ってる。

シジンは笑いながら、道を渡ろうと一番近い横断歩道の前に立った。
もうすぐ信号が変わるタイミングでちょうどモヨンも近づいてきている。
シジンは、モヨンがまっすぐ行ってしまわないように、合図を送ろうと手を挙げて名前を呼ぼうとした。


その時だった・・・


「カン・モヨン!」

シジンではない男の声が、モヨンを呼び止めた。
モヨンは、進行方向に視線を向けたまま横断歩道の少し手前で立ち止まった。
モヨンの視線を追って、シジンもそちらに顔を向けた・・・そこには、薄いグレーのスーツにブルーのストライプのシャツを着たビジネスマン風の男が立っていた。

―誰だ?

シジンは、やけになれなれしいその呼びかけにむっとしながら、呼びかけられた当の本人に視線を戻した。
モヨンは、距離があったからか、はじめ相手が誰なのかわからないらしく首をかしげていた。
しかし、歩行者用信号が青に変わり、シジンが横断歩道に足を一歩踏み出したと同時にモヨンの表情が変わったのがわかった。
そして、確かめるように相手の名前を呼んだ。
「ユンギオッパ?」

―えっ?・・・ユンギオッパ?

シジンは、無意識の内に踏み出した足を引っ込めると、咄嗟に信号機の柱の陰に隠れていた。
その名前には、聞き覚えがあった。
そして、ウルクにいた頃のことを思い浮かべた。
あれは、モヨン達医師団の帰国直前のこと・・・

ユン・ミョンジュのM3ウィルス感染からの快復と、モヨンへの労いを込めてソ・デヨンと共に参鶏湯を作って振舞った時のことだ。
ふとしたことから、モヨンとミョンジュが医大の先輩のことで言い争いを始めたことがあった。

―確か、あの時聞いた名前だ。

そして、シジンはスマホを取り出すとメッセージのアプリを開いた。
思った通り、モヨンに送った最後のメッセージに既読マークはなく、シジンが近くいることには気づいていないようだった。




「なんだ・・・俺の顔忘れちゃったのか?」

突然自分を呼び止めた男は、親し気な笑みを浮かべてモヨンを見ていた。
モヨンは、10m程先で立ち止まっている男の顔をまじまじと見つめた。
すると不意に、医大に通っていた頃の光景が頭の中に蘇った。
キャンパスの青い芝生とベンチ、階段状の講義室、学生で賑わう食堂・・・

初めての恋、そして別れ・・・

―そんな、まさか・・・

「ユンギオッパ?」
モヨンは、自分でも声が上ずっているのを感じていた。
まさか、その瞬間をシジンに見られているとも知らず・・・

「そんなに驚かなくてもいいだろ?・・・久しぶりだなカン・モヨン。」
ミン・ユンギは、笑顔のまま近づいてきた。
その瞬間、モヨンは我に返った。

―ちょ、ちょっと待って、ユ・シジンは?

モヨンは、あわててスマホを開いた。
自分がが送ったメッセージの後にシジンからの返信があることに気づいてモヨンは慌てた。
そして、目の前に迫って来ているユンギに向かって言った。
「ユンギオッパ、ごめんなさい。私、待ち合わせしてて行かなくちゃ!・・・もう大遅刻なんです!」

今にも、シジンが現れそうに思えて気が気ではなかった。
とにかくこの状況から逃れようと、目の前の横断歩道を渡ろうとしたモヨンの腕をミン・ユンギが掴んだ。
そして、次のユンギの言葉が再びモヨンを振り返らせた。
「なんだよ・・・明日から同僚になるのにつれないな・・・」

「えっ?同僚って・・・もしかして明日から来るミョンイ大出身の先生ってユンギオッパのことですか?」

「ああ、そうだよ。今日はこれから理事長に挨拶に行くんだ。」

「どうしてヘソン病院に?・・・確かアメリカのメディカルセンターにいるって聞いてましたけど。」

「まあね、そろそろ国が恋しくなって来たところに、丁度いいタイミングでヘソン病院からの誘いがあったからさ。」

「そ、そうですか・・・」

―そうですかって、私ったら何のんきに返事なんかしてるのよ!

モヨンは、もしかしたらすでにその辺りまでシジンが来ているかもしれないという焦りと、突然の初恋の人との再会で半ばパニックを起こしていた。

「そ、それなら明日病院で改めてご挨拶します!・・・ホントごめんなさい。失礼します!」
モヨンは、目の前の歩行者用信号が再び青に変わった瞬間、ユンギの手を振りほどくようにして駆け出した。

一瞬、唖然としながらモヨンを見送っていたユンギは、それでも我に返って横断歩道を半分ほど行ったモヨンに向かって言った。
「本当の理由は他にあるんだ・・・ヘソン病院にはお前がいたからさ!」

―はあ?何言ってるのよーー!

モヨンは、聞えない振りをして横断歩道を駆け抜けた。
あまりにも、突然の出来事に、わき目も振らず走っていた。
息が上がって苦しかった。心臓は口から飛び出しそうなほどの勢いで鼓動していた。
 

 

―何なんだあいつは!

シジンは、たった今目の当たりにした光景に動揺していた。
しかし、隠れているシジンに気づかず、目の前を駆け抜けて行ったモヨンを見て我に返った。
シジンは、すぐにモヨンの後を追った。
そして、夕方の人ごみに紛れてモヨンを追い越すと、カフェの近くで何食わぬ顔で待っていた。

「モヨンさん!」

モヨンは、カフェの近くまで来て、シジンの呼ぶ声に思わず立ち止まって辺りを見回した。

「ここ!・・・ここだよ」
シジンは、モヨンに手を振りながら「お疲れ様」と言って駆け寄った。
すっかり日の暮れた街の雑踏の中にシジンを見つけて、モヨンはやっと笑顔になれた。
「お待たせ。ずっとここにいたの?」
モヨンは、探っているのを気づかれないようにさりげなく聞いた。

「うん・・・そんなに走って来て!僕が行くから急がなくていいってメールしたのに見てないみたいだったから、結局ここで待ってたんですよ。」
シジンは、素知らぬ顔で言った。
 

モヨンは、持っていたスマホとシジンの顔を交互に見ながら苦笑いを浮かべた。
「見たわ。途中で気が付いたんだけど、それどころじゃなくて・・・」
モヨンはまだ荒い呼吸を整えるように何度か深呼吸をすると、最後にため息のように大きく息を吐きだした。

「そんなに忙しかったの?・・・何か食べる?・・・それとも・・・」
シジンは、さりげなくモヨンの頭の先からつま先までを一瞥すると「家に帰りますか?」とおどけた様に聞いた。

「私、そんなにひどい?・・・確かに髪もボサボサだし、メイクも直せなかったけど。」
「いやいや、どんな状態でも美人は美人ですよ・・・僕はそのままでも一向にかまわないけど・・・」
「どんな状態でもって・・・やっぱりひどいのね・・・」
「早く僕に会いたくて、モヨンさんがわき目も振らず走ってきてくれただけで感無量です。」
シジンのからかうような口調に、モヨンはわなわなとしながら「帰る!車どこ?」と言って口を尖らせた。

シジンは、声を上げて笑いながらモヨンの肩に手を回すと「こっちですよ」と言って歩き出した。
しかし、シジンは、その時モヨンがほんの一瞬いぶかし気な目で自分を見上げたことには気づいていなかった・・・

 

                              つづく

※サンクチュアリ→聖域、禁漁区
太陽の末裔