~最高の贈り物 -破局説の真相-~ ≪2≫

 

「ムン社長、正直に答えてくれ・・・ク・エジョンの今回の仕事は何なんだ?」


結婚後の初仕事としてオレが主演する映画の打ち合わせのため、映画会社へ向かう車の中・・・ジェソクが運転する会社のバンの後部座席で、オレは隣に座るムン社長に尋ねた。


「”何なんだ?”って変な聞き方をするわね・・・MBSの『グルメワールド』って番組よ。エジョンさんから何も聞いてないの?」
ムン社長は、そう言って笑うと、今回のエジョンの仕事について説明を始めた。
「元々は、トッコが心臓の手術を終えて復帰した頃に一度オファーのあった仕事だったのよ・・・正直にって言うから言っちゃうけど、最初その仕事は2か月間かけていろいろな国で撮影をするということで、あなたとエジョンさんを引き離すのにちょうどいいと思って、彼女に勧めた仕事だったの・・・」


「オレとあいつを引き離すだと?・・・そんなこと考えてたのか?」
オレが憤ると、ムン社長はまあまあというように手を振りながらさらに話を続けた。


結局は、オレがテレビでク・エジョンとのことを公表した時のどさくさで、宙に浮いた形になっていたところ、オレ達の結婚が決まってから、あらためてオファーがあったということだった。

今までB級タレントしてエジョンが出演してきたバラエティーやクイズ番組のようなものとは違い、ロングランを続けている人気のドキュメンタリー番組の新МCへの大抜擢・・・

もうジェットコースターに乗りながらジャジャ麺を食べたり、カエルの着ぐるみを着て笑いを取る必要はない。

しかし、そういったことを経てきたからこそ培ってきた思い切りの良さと、ユーモアのセンスを買われてのことらしい。


「結婚前にエジョンさんが出演していた”味チャングムさん”の評判もあっての抜擢なのよ。もちろん公表前と後とではトッコの存在も大きいとは思うけど、それ以上に番組のプロデューサーがエジョンさんのことをとても気に入ってくれて、エジョンさんの今までのイメージを変えるためにひと肌脱いでくれるってことなの。本当に結婚直後のこのタイミングでこういった番組のレギュラーになれるなんて願ったり叶ったりのことだと思うわ」
ムン社長は、いつにも増して饒舌に語った。


そう・・・あれはいつ頃のことだったか。
会社に用事があると言ってク・エジョンが一人で出かけた日があった。
そして、夕方になって帰ってきたエジョンは、オレの顔を見るなり飛びつくように抱き付いて今回の仕事が決まったことを喜んでいた。
結局、2週間もの海外ロケがあると知って、オレが不機嫌になってしまったためにエジョンは詳しい内容まで説明できなかったのだろうと今ならわかる。


―つまり、今のこの悶々とした状況は自らまいた種ってことか?・・・


「まあ確かに、トッコ・ジンの妻としてもいい仕事だとは思うが・・・ただ制作発表もなくいきなり海外ロケからというのは随分と性急じゃないか?だから破局かと疑われるんだ!」
オレは、バツの悪さも手伝って愛想笑いを浮かべながら言った。
すると、ムン社長はにやりとした笑みを浮かべてオレを見た。
「それは戦略よ・・・!」


「戦略?・・・つまり意図的に発表をしないってことか?」


「ええ、そうよ・・・でも!」
ムン社長は語気を強くして一旦言葉を切ると、さっきよりもさらににやりと笑いながら言った。
「それ以上は聞かないでちょうだい!たとえトッコであっても話すことは出来ないわ。エジョンさんは確かにトップスター、トッコ・ジンの奥さんかもしれないけど、あなたとエジョンさんでは依然として格が違うのよ。それぞれを売る戦略も違って当然でしょ?まあ、任せておきなさい。必ずこのムン・ジニョンがク・エジョンの好感度を上げてみせるから!」
ムン社長は、オレにウィンクをしてみせると「この話はこれで終わりよ」と言って、手に持っていた書類に視線を落とした。


―それはそれは力強いお言葉ありがとうございます!・・・だ。ふん!


ムン社長に強制的に話しを打ち切られ、オレは消化不良のまま心の中で悪態をついた。
何がどうというはっきりしたものがあるわけではないが、何かがおかしいような気がした。
しかし、さらに突っ込んで聞きたい気持ちを、”トッコ・ジン”としてのプライドがかろうじてブレーキをかけていた。
オレは、オレ一人が蚊帳の外に追いやられているような焦燥を感じながら、今すぐに答えを得るのをあきらめて窓の外に目を向けた。


―くそ!やきもきさせやがって、もうこうなったら向こうから何か言って来るまで知らんぷりを決め込んでやる!!


旅立って3日・・・ろくに連絡もよこさないエジョンに対しても八つ当たり気味の気持ちが湧き上がる・・・

しかし、そう決心した矢先から、なぜかこの手が勝手にポケットから携帯電話を引き出した。


―ん?・・・オレの手、何してる?


それも、あろうことかこの手は勝手にメールを打ち始めた。


<3日も離れて寂しいだろう?すぐにでもそっちへ飛んで行ってやりたいが、オレも映画の仕事が始まるからそれは出来そうもない。もしオレの声が聞きたくなったらいつでも電話してこい>


―な、なんだこのメールは?


オレは、自分の指が打ち込んだメールの文章に自分で愕然とした。
それは、想いの裏返し・・・
寂しいのはオレ。
声が聞きたいのはオレ。


―こらこら、オレの手!送信ボタンは押すなよ!今向こうは真夜中だぞ。


オレは、携帯電話を握りしめた手を睨みつけながら心の中で必死に念じた。
しかし、勝手な意思を持ったオレの手は、何の躊躇もなく送信ボタンを押していた。


―ああっ!!・・・


次の瞬間、画面に浮かんだ”送信完了”の文字に切なさがこみ上げた・・・
オレ自身はこんなところで悶々としているのに、メールの文字は何の苦も無く空を飛んで、ほんの一瞬でイタリアにいるエジョンの元へ到達してしまうのだと。


それからほんの数分後・・・

 

まだ手の中にあった携帯電話が振動しメールを知らせる着信音が鳴った。
驚いて携帯を落としそうになりながら画面を見ると、そこに表示された名前に息を飲んだ・・・

 


―ク・エジョン?・・・


<寂しいわ。すぐにでも会いたい。あなたもそうでしょ?・・・声が聞きたいからあなたが家に戻る頃電話をかけるね>


オレの気持ちなど全てお見通しといったメールにふっと笑みが浮かぶ。
オレは、その少ない言葉の中にも、あふれるようなエジョンの想いを感じとっていた。
ただひとつ、肝心な言葉が抜けていると思ったことを除けば・・・


ところが、まだメールを開いたままだった画面に、さらにもう一度メール着信を知らせるアニメーションが現れた。


<今、一番大事な言葉が抜けてるって思ってたでしょ?・・・帰ったらすぐに満タンに充電してあげるからね。愛してるわ。>


突然、腕の心拍計がアラーム音を発して、オレはあわてて胸を抑えた。
運転席のジェソクと隣のムン社長が、驚いてこちらに顔を向けた。
オレは、「大丈夫だ」と言って2人を安心させながら、そっと深呼吸を繰り返した。


―ああ、ク・エジョン・・・オレも、今すぐに会いたい。

 

手術は無事に成功して心臓の故障は治ったとはいえ、相変わらず心拍計は離せない・・・
そして、オレの心拍数が上がる一番の原因はいつもク・エジョンだ。


ふとエジョンが口ずさむ「ドゥグンドゥグン」のメロディーに。
真っ直ぐにオレを見つめ返す瞳の色に。
その細い腕が、オレの首に巻きつくたびに。
まるでご褒美のようにその唇から洩れる「愛してる」の言葉に。

 


しかし、甘い妄想もジェソクの声に唐突に打ち切られた。
「間もなく到着します!・・・あっ、もう記者たちが押しかけてるみたいですね。どうしますか?正面に付けますか?」


「あら本当だわ。さすがトッコ・ジンの破局説ともなると記者たちの反応も早いわね。ええ、正面でいいわ」
ムン社長は、後部座席から身を乗り出すようにして前方に迫る映画会社前の様子を伺いなら答えた。


オレは、「破局説」という言葉で不意に我に返ると、強く頭を振った。


―いかんいかん!・・・これでは完全に恋に溺れている!ああ、でももっと溺れたい・・・


こんなにも愛しているのに何が破局説だと思いながら、オレもムン社長と一緒に前方に目を向けた。
相当な数の記者が待ち構えているのが見えた。
その瞬間、オレはオフィスを出る時のムン社長との会話に何か違和感を感じたことを思い出していた。
そうだ、いつもならスキャンダル記事には敏感で、マスコミへの対応も早いムン社長にしては、やけにあっさりとしていたように思えたことが引っ掛かっていた。
今も、別段何か対応策を考えているようにも見えない。


「ムン社長?・・・このまま正面突破か? まあ、映画も始まることだし、本意ではないが記者会見をしろというならするぞ?」


正直、オレは声を大にして言ってやりたかった。
”破局などありえない。オレ達は愛し合っている”と。


しかし、ムン社長は首を横に振ると真剣な顔でオレに言った。
「トッコ!いい?よく聞いて。記者に何を聞かれてもあなたは何も答えないで。エジョンさんを思うなら私の言うとおりにしてちょうだい」


―ク・エジョンを思うならだと?・・・


今まさに記者たちが群がるビルの正面玄関に車が横付けされようとしていた。
オレは、驚きの表情を隠しもせず、ムン社長の横顔を見つめた。


―何を考えている?・・・


ジェソクが先に車を降り、車を取り囲んでいる記者たちを下がらせている。


「トッコ。もう一度言うわ。記者の質問には私が答えるから、あなたは決して何も言わないでね。サングラスをかけて笑って通り過ぎてちょうだい。行くわよ!」
ムン社長は、一気にまくしたてると外のジェソクに合図を送った。
オレは反撃の隙すら与えられず、ドアが開け放たれた途端に激しく瞬きだしたフラッシュの中へと降り立った。


「トッコ・ジンさん!ク・エジョンさんとの破局説は事実ですか?」


―事実なわけないだろー!!


「トッコ・ジンさん!ク・エジョンさんが出て行かれたのはいつですか?レストランでの喧嘩の原因は?」


―喧嘩なんかしてないんだよ!


「2人の仲はすでに修復不可能ということですが、お話し聞かせてください!!」


―修復どころか、壊れてもいないんだよ!!


目もあけていられないほどの無数のフラッシュ。
矢継ぎ早に浴びせかけられる不躾な質問。
何も答えてはいけないことに苛立つ自分。
作り笑顔も歪んでいるような気がした。


それでも、全ては「ク・エジョンのため」というムン社長の言葉がオレを何とか踏みとどまらせていた。
しかし、一歩も前に進めない状況の中で、オレの我慢も限界に達しようとしていた・・・その時。


「みなさん、わざわざ集まっていただいて申し訳ありませんが、2人の間に破局などありませんのでご心配なく」
ムン社長の声に、マイクが一斉にオレの前から消えた。
その隙に、ジェソクがオレを正面玄関の中へと誘導する。


「では、ムン社長!・・・今回の破局説をどう説明されるんですか?」
記者の質問に、ムン社長がやけに明るい声で答えた。
「さあ、何もないのに説明と言われましても・・・でも、来週放送されるMBSの「グルメワールド」の中でク・エジョンが2人の近況などのインタビューに答えていますから、それをご覧いただければご確認いただけると思いますよ・・・では、トッコはこれから新作映画の打ち合わせがありますので、これで失礼いたします」


オレは、サングラスの中の目を大きく見開いて、ムン社長が記者たちを煙に巻くのを見ていた。


―なるほど・・・これが戦略か・・・


見事にこの状況からオレを守り、ク・エジョンのインタビューの情報とトッコ・ジンが新作映画に取り掛かったことまでしっかりと世間にアピールした。
それも、ただ普通の芸能情報として流れるよりも、ずっとインパクトのある形で・・・
もしかしたら、破局説の記事もムン社長が意図的に流したものなのかもしれない。


オレは、記者たちを振り切って追い付いてきたムン社長に言った。
「随分と強引な手だな・・・トッコ・ジンとク・エジョンはそんなにも格が違うか?」


「ええそうね。あなたは不満でしょうけど、このくらいやらないとね・・・2人で共倒れなんてご免だわ。でもねトッコ?私はあなたがどれ程エジョンさんを愛しているかを十分に理解しているつもりよ」
ムン社長は、オレを見上げて優しく微笑んだ。

 

「ああ、わかってるさ」

 

オレは、大きくうなずいて微笑みを返した。


そうだ・・・このムン社長あっての”トッコ・ジン”だ。
この人に作り上げられたイメージがあってこそ、オレは今もこうしてこの世界に君臨していられるのだ。


「ムン社長。あんたに任せるよ。オレはただク・エジョンとずっと幸せに暮らせればそれでいい」
「ええ、任せておいてちょうだい」
「ところで、ク・エジョンのインタビューってのは何だ?オレは初耳だったぞ」
「ああ、番組の中で少しだけエジョンさんのインタビュー映像が流れるのよ。たぶんエジョンさんがイタリアにいる間に放送されるはずだから、トッコも録画を忘れずにね。エジョンさんとっても綺麗ですって!」


また、ドキンと胸が高鳴った。
エジョンを強く想うといつもこうだ・・・


―ああ、ク・エジョン!・・・やっぱり今すぐに会いたいぞ・・・

 

それから数日間は、いつも記者に付きまとわれながらの移動となった。
そのたびにオレは沈黙を守り、ムン社長は満面の笑顔で記者たちを煙に巻いていた。
すると、いつの間にか破局説は消え、次第にエジョンがインタビューで何を語るのかといったことに視聴者や読者の興味が移って行く様をオレは不思議な気持ちで見ていた。


毎日のようにオレとエジョンの話題がテレビやネットを賑わす中、エジョンのインタビューが放送される日もあっという間にやって来た。

 

 

そして明後日、待ちに待ったク・エジョンが帰ってくる・・・

 

 

オレは、もうエジョンなしではいられないことをあらためて実感したこの2週間を思いながら、何があっても空港までエジョンを迎えに行ってやると固く心に誓っていた。

 

 

                                            つづく