ピエールモントゥーの英雄第三楽章
ティーレマン ウィーンフィルの英雄交響曲第三楽章 ただムジークフェラインホールでそれらしく鳴っているというだけの演奏に聞こえます。
このくらいなら、ウィーンフィルは指揮者なしで演奏できる。
すでに巨匠芸というのは古くはドイツ指揮者が戦時中にそのピークを迎え、そして、周辺各国においても、戦後、鮮烈なまでに光彩を放つ名演を惜しげもなく披露していたのだ、とこういう録音を聴いて、ダメ押しのように、思いしらされ。というか、もうクラシック音楽の豊潤な世界というのは、1960年代でほぼ終わっていたのであることがわかってしまう。それはカラヤンだってそうだ。かれの1960年代を知れば、あとは大衆化のための伝道師としての価値しかほとんどない、とわたしは、決めつけている。
そうしたことを念頭に言わせてもらうと、ベートーヴェンの交響曲を無理してウィーンフィルなどと(ウィーンフィルの話題つくり?)しょっちゅうやらされているドイツ生粋指揮者のティーレマンなど、期待値は高いかもしれないが、
もうその古きおもおもした巨匠芸というものに活路を見いだそうとする試みは、
無理筋であり、
終わっているんだよ、と言ってあげたい。それって少なくともクレンペラー以降意味ないっしょ?
だからクライバーが1970代以降ほとんど唯一にしてベートーヴェンにあらたな光を当てられたのだと思う。
ティーレマンは違うよ。ベートーヴェン指揮者じゃないよ。



