コバケン 東京フィル シェエラザード 第三楽章

コバケンの音楽を語るのは容易ではない。それは、このようなじつに見事なアダージェットを奏してしまうからである。これは間違いなく一級品の緩徐楽章であり、わたしの求める表現に近いのだ、そして、これはコバケンが年老いて知らず知らずこのテンポになったという簡単な話ではなく、かれには必殺のロンドンデリーの歌があったではないか。それがシェエラザードの中で甦ったのだ。

このことにより、その前後の楽章の遅さは気にならないか、というと、これまた不思議で、むしろ遅さがとても不釣り合いに聞こえるのだ。第三楽章のみを単独で取り上げることをしてもらわないと、のこりはちょっと辛い。


これは、音楽の、圧の問題であり、早い遅いというよりも、かれのいまの音楽には、ゴムの伸びきりが散見されるということなのだ。緩いということだ。シェエラザードがどうのこうのでなく、ゴム圧がゆるくてずり落ちてくるのがどうしようもない。


しかし第三楽章は、アダージェットとでも呼びたくなるような、まさに陶酔の緩さに、こちらは沈み込み続けられる。


これだけでもいいのだ。


コバケンが到達しているこの境地は、やはり、かれの本質があらわになっているに過ぎない。


その本質は変わっていない。


変わったと思っているひとは音楽を聴いていない。


だからもともと大好きだった人はいまでもその音楽が大好きなんだ。