私はナショナル(今のパナソニック)に勤める父と、銀行員の母のもとに産まれた。
両親は同姓同名だ。
漢字も同じ。
郵便物は母が全て開封する。
電話がかかってきても、「〇〇さんいますか?」では、どちらのことだか分からない。
「どちらの〇〇ですか?」と尋ね、よく相手を困惑させていたものだ。
両親は仲がよく、いつかこんな夫婦になりたいと思っていた。
しかし
父は短気で、よく怒鳴られたり叩かれたりしていた。
聴力が低く、テレビの音が聞こえない、と怒鳴られ、リビングのドアをそーっと閉める日々。
幼稚園〜小学生時代は、祖母と別の部屋にこもっていた。
怯えてリビングに行けなかったのだ。
短気は今でも治らず、マシにはなったものの、子供を預けるなんて恐ろしくて出来ない。
長男が、保育園に送ってもらっている際(私は当直中で不在)リュックで殴られ、お弁当箱の蓋が割れ、ご飯に破片が入っていたと先生から言われたのは今でも忘れない。
父は、私たちより母のことが好きだ。
小さい頃からそう感じていた。
今は孫が可愛いと言うが、人間はそう簡単に変われない。
そして私のトラウマも消えない。
時々フラッシュバックのように思い出し、心療内科通院も終わらない。
よく喋るし、つっかえることなくペラペラ話せるのは尊敬。
オペレーターか何かのバイトをしていた経験からだろう。
貧乏な家で育ち、高校卒業後、好きな進路に進めず、妹の学費のために銀行員を続け、なんと30年以上勤め上げた。
そんな両親のもとに産まれたのが、
2歳上の兄と、私と、10歳下の妹だ。
兄は、てんかんがあり、度々救急車で運ばれた。
脳波をはかるため祖母がよく総合病院に連れて行っていた。後々知ったが、父も軽症のてんかんがあり、それが遺伝した兄はひどかったらしい。
今は長年飲んだ薬もやめて普段通りの生活を送っている。
そんな病弱な兄とはよくけんかをした。
私が泣くと「泣かないの!」と怒られ、兄に勝つと「お兄ちゃんを泣かさないの!」と怒られ。
理不尽極まりない。
発作を起こさないように、大事に大事に育てられた兄と、放置の私。
そして10歳になってすぐ妹が産まれる。
覚えていないが、よくお世話をしていたらしい。
兄が抱き方がぎこちなかったため、私にばかり抱っこをお願いしていた、と最近母に聞いた。
その頃には父も少しまるくなり、妹は父と話す。
私は今でも二人になると話すことがない。
高校生の頃、迎えに来てもらっても、家まで終始無言だった記憶がある。
妹が産まれてすぐ、祖父が亡くなり、祖母との同居が始まった。
祖父母は24歳差婚だった。
74歳で亡くなった祖父。
現在81 歳の祖母。
24 歳差とはとてつもない年齢差のように感じる。
ずぼらな祖母に育てられ、見事に潔癖になった私。
今でも、人の手は信じられず、子供が作った料理すら食べられず、一緒に料理をすることもほぼない。手伝うと言われたら困る。
夫の握ったおにぎりも、一口くれるというお菓子も、食べられない。
きざみねぎを手で味噌汁に入れてくれるのも迷惑でしかない。
手を洗ったかどうかではないのだ。
長くなるので今夜はここまで。
おやすみなさい。