昨日の夜、父方の祖母が救急車呼んだようです。


父に、「もうだめかもしれん」と電話があったようで。

家には、ボタンひとつで救急車が呼べたり、専門の人に繋がって話が出来る機能のついた機械を役所に設置してもらっています。


それを使わず連絡してくるとか、自分で設置しておきながら意味分からない。


父の弟はとても冷たく、一番に電話したみたいですが繋がらないとのこと。

次男というのをいいことに、お金だけかけてもらったのに今は知らんぷり。


でも祖母は弟のほうが可愛いようで、何かと弟のほうに連絡をまずするようです。


世の中うまくいかないね。


父は無愛想ですが、色々考えています。高校生の時に病気で父親を亡くし、しばらくして母親が違う男の人を連れてきて一緒に暮らすようになり、その男の人には家庭があり、最後まで籍は抜いてませんでした。


私が本当のおじぃちゃんと思っていた人です。


祖母はまともに子育てもせず、父は朝ご飯に白ご飯のみ食べて学校に行き(私には到底出来ない!!)、いい大学に入りたかったのに学費を出してもらえず自衛隊に入り遠くの北海道へ行き、当時それがきっかけで母と一度別れることになりました。


縁あり1枚の年賀状から、二人は再会し結婚を祖母に反対されながらも見事ゴールインし、今の私がいます。


10年ほど祖母の家にも近寄らなかったらしいです。

私達が少し大きくなり、お正月は祖母の家に集まるようになりました。

祖母は弟のほうの孫たちにばかりお金をかけ、可愛がり、目に見えて私達との差が大きかったようで母は未だに祖母が嫌いです。


私はというと、そんな事情知らず、好きな唐揚げを食べに行くお正月と思っていたのに「かず(私の兄)は唐揚げが好きだからね」と毎年祖母が言っていて、自分も好きなのに。。。と毎年思うだけで言えませんでした。


中3の時に塾に自転車で通っていて、夏期講習の時に昼ご飯を食べさせてもらっていました。祖母は自分大好きです。

祖父は血は繋がっていないけど、優しくて、でも、滑舌悪くて毎回聞き取れず、祖母が通訳という感じ。

お世話になったのはそれくらいです。


祖父が癌になった時に、病室で「この人はあとは死ぬのを待つだけ。ばぁちゃん1人になったらどうしよう。家で一人で野垂れ死んでも誰にも気づいてもらえないかもしれない。」と、なぜか、自分の心配ばかりしていました。

祖父がどうして妻子持ちなのにこの祖母と一緒に生きてきたのかは謎だらけです。


今でも、私の病院にかかっていて顔を見に来るのですが、私の子供の名前すら聞いてきたことはありません。興味がないのです。

私が結婚式の写真を見せに行った時も、パラパラッとしたらあとは自分のやっている日本舞踊の写真を出してきて見せてきました。


そんな人を助けようとする人は今、身内にいません。

出来ればみんな知らん顔したいのです。

好き勝手生きてきた人はそうなるのです。


父も電話があったので家に向かいましたが、普段から「俺何もしてもらってないもん」と、電話もしないし家も訪ねません。


祖母は毎月病院で会うたびに、「◯◯(私)が一番優しいねぇ」と言って、友達にも自慢の孫だと言って回っています。


でも会っても、糖尿病の薬を副作用で勝手にやめていたり、去年心不全が発症しても薬を飲まなかったり、最近見ないと思ったら大体他の病院を転々としています。

医者より友達を信じる人。


どこに言っても言われることは同じ。

薬をちゃんと飲んでください。


先日ドラッグストアで会ったら、市販薬買いに来たと言っていてひっくり返りそうになりました。


病院の薬を飲めー!


30分以上受け入れ先が決まらず待機




親もたまったもんじゃないですが、救急隊もたまらんです。

動けないと言っていた人が、歩いて家から出てくるんですから。

結局近くの病院に搬送されたはいいものの、親から電話。
「ばぁちゃんの病気、何かね?」

。。。。


私、お腹痛くて早く寝たかったんです。
なのにラインばんばん来るわ、電話鳴るわ。

もうね、気になってるとかじゃないんだけど、眠れなくなって。
夜中一時くらいにウトウトしだしたけど動悸もして朝まで浅い睡眠でした。

妊婦に負担かけないで。

今日も、相変わらず仕事です。

昼から休みですが、辞める先生へのお酒を買いに行き、犬のワクチンを打ちに連れていき、今日と明日の晩ごはんを作るという任務があります。

休みなし。

昨日発覚したのが、また祖母が新しい病院にいつの間にか通っていた事実です。

一昨年は眼瞼下垂を指摘され手術の話が出ていたのに、なぜかフラッと違う病院に行き白内障の手術受けてきました。

えっ?眼瞼下垂は?笑
紹介状なんてシステム全く無視です。

ほんとに疲れる。

さて、明日はもう一人のおばぁちゃんが退院ですウインク
肩の骨折のばぁちゃんです。
認知症が進み、退院日を毎日忘れています。
でもいいんです。

反抗期には八つ当たりしまくったけど、いつも温かい心を持ったばぁちゃん。
貧乏で小学生から働いていたばぁちゃん。
親が働かず、学校に行っても昼ご飯の時間には1人教室抜け出しご飯がないので外で時間潰していた苦労人。
子供が大好きで私の子供が産まれるのを楽しみにしてくれています。
退院して、穏やかに暮らせますようにニコニコ

両極端な祖母の話を長々とすみません。
仕事がんばります。