祖母のレントゲンと診察がありました。


早く退院したいという祖母。


もう少しリハビリ頑張ろうという先生。


介護認定やリフォームに忙しい母。


みんな、退院のために前進しているよ。



祖母だけ後退している。


認知症の長谷川式スケール7点下がってた。


部屋に行くと、紙に家族みんなの名前が書いてあるのが見えた。


忘れ無いように、写真見ながら書いてたのかなと思ったら切なくなったよ。


でもね、ばぁちゃん。



その中の、たけしって誰?笑



写真に載ってないたけし。


たけし。たけし。


ごうだたけし?



母にラインした。


「死んだじぃちゃんの姪っ子の、子供!久々聞いた!」


って。


いた、たけし。


でも、誰?笑


じぃちゃん30年前に死んだんだよ。


ばぁちゃんとは24歳差でね。


その頃に年の差婚!ばぁちゃん15歳じぃちゃん39歳。


じぃちゃんの何番目の嫁か自分でも分からないってよく言ってた。

モテたのか?じぃちゃん。


浮気三昧、仕事しないじぃちゃんに苦労してきた祖母。


そんなこと知らず、私は小学生のころ毎日じぃちゃんに100円貰って喜んでいたよ。


小学生の中では、金持ちだった。お小遣いをね。


4年生の時に死んだじぃちゃんの姪っ子の子供って、ばぁちゃんどこまでタイムスリップしてるんだ?


むかしの事はよく話す。


最近のことは忘れている。


今はすぐに私を認識しているけれど。。



生まれてくる子供は名前覚えてもらえないかもなぁ。


悲し。


一応、旅行にも何度か連れて行った。


そのへんの買い物も連れて行った。


ばぁちゃん孝行は後悔するほどしてなかったわけではない。


遅かれ早かれ、こうなるから。


歳でいうと、ばぁちゃんとの時間が一番短い

のは分かってたから。


でもね、突然行方不明になって、110番して、生きた心地しなくて。


みんな泣きながら車で手分けして探して。


手術したことも、分かってなくて。


私は悲しい。


ずぼらなばぁちゃんが嫌な時期もあった。


両親共働きで、ばぁちゃんっ子だったけど、反抗期は荒れまくりだった。

ばぁちゃんに随分八つ当たりした。


父がすぐに怒鳴り、叩いてくるので、ばぁちゃんの部屋に潜んでた。


台風の日も、キッチンでばぁちゃんと、兄と3人で身を寄せ合った。


「お風呂掃除はばぁちゃんの仕事やろ!」と、手伝いをやめたことも忘れない。


納豆巻きにハマった時期、毎朝納豆巻き作ってくれたことも忘れない。


もう、キッチンに立たない祖母。


ずぼらだから、母が仕事辞めた10年前に家事を母が全て取り上げた。


仕事はしていたけど、単調だからボケてしまったのだろうか。


今更元には戻れないけど、お願いだから、私達のこと忘れないで。


新しいことなんて覚えなくていい。

いままでの思い出、忘れないでよ。


笑顔のばぁちゃんでいてね。