徒然なるままに、こんにちは。

 

 初めてのブログ。なんか色々な映画は鑑賞してきたけどこの映画の感想に関しては不特定多数に聞いてほしかったので、拙いけどこれを見て「鑑賞してよかった」と思えた人がいるのなら幸いです。まず基本情報です。

 

ネタバレしかないので基本情報終わったら、鑑賞してない方はぜひ進まずにまず観てほしい。結構消耗しますが。

 

 

 

 映画の基本情報

 

 是枝裕和監督作。私は恥ずかしながら「誰も知らない」(2004)しか観たことがありませんでした。あとで色々観ようとは思っているものの、重い話題が多いので避けちゃうこともあります。

 

主な登場人物は、

 ・麦野早織(安藤サクラさん)

 ・保利道敏(永山瑛太さん)湊の担任

 ・麦野湊(黒川想矢さん)早織の子ども

 ・星川依里(柊木陽太さん)湊の同級生

 な感じですかね。

 

第一幕は早織目線、第二幕は保利目線となってます。一応、ノベライズを映画鑑賞後に読んでいるのでそこの知識はある筆者です。

 

ここからネタバレ含むので鑑賞前の方ご注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 注目ポイント

 

(以下ネタバレです)

映画を鑑賞したあとで、少しもやっとしたのはこの辺でしょうか。

 

①豚の脳(依里の父親が依里に言い放つ言葉)

②怪物(怪物ゲームが由来?)

③これはクィア映画なのか?

④ラストの解釈

 

特に私が言いたいのはラストの解釈についてです。

一旦、①から見ていきます。

 

 

 

 

①豚の脳(依里の父親が依里に言い放つ言葉)

 

 

 物語の中で最も胸クソに感じた依里の父が言う「豚の脳」は、やはり依里の性に関してなのかなと思います。依里が家を訪れた湊に「治った」というシーン(後ろには父がいる)で「普通になった」と言っている=「おばあちゃんの家の近くのあやかちゃんが好き」であると言っていることからもそうかなと。

 

一つ疑問なのは、依里の服装ですね。

 

 女の子っぽい(これも偏見になるのかな)服装をしているように感じるけどそれは父親の癇に障らなかったのかな。女の子っぽいのは許していたのかな、ここは甚だ疑問が残りますが。

 

 一方で「発達が遅れている」(これも偏見になるのかな)部分に言及する余地もありますね。現に小学5年生で鏡文字を書いていたり、朗読が拙かったり。でも小説では「作文の才能」を見出されていますからそれっぽいなと思ったり。

 

まあこれは前者のような気がします。

湊も依里ヘ向いた気持ちを抱いてからこの言葉に言及していますから。

 

 

 

 

②怪物(怪物ゲームが由来?)

 

 

映画のタイトルにもなっている「怪物」ですがこれって作中で重要な役割を担っているとは考えづらい気もします。

 

 二人だけの”怪物ゲーム”とか「かいぶつ、だ〜れだ」とか、作中よく出てくるワードではありますが、先述した「豚の脳」に直結することもなく(依里の父親のみ言及)あまり物語に結びつかない気がします。

 

タイトルと作品が直接結びつかない映画なんて世の中にいっぱいあるのにこの違和感はなんだ...

 

映画のポスターには「怪」と「物」の間に「だーれだ」と書いてあります。これはまさに”怪物ゲーム”の台詞を引用しているけど。

 

 

二人の”怪物ゲーム”は「かいぶつ、だ〜れだ」なんですよね。

疑いすぎだけどポスターの「だーれだ」は私たちに向けられた言葉だと感じます。

 

 人は多面性を持っていて、それを一面だけ見てしまうと時に他人を傷つけてしまう。これは第一幕の早織も、第二幕の保利にも言えることです。私も第一幕の時は保利に超むかついたし、第一・二幕ずっと伏見校長にむかついていたのだから自分たちにも言えること。

 

 子供ってまだ単純で、多面性はなさそう。思春期を経て大人っぽい多面性を帯びていくのだとしたら、二人はそれを感じ始めた頃なんだろうな、と考えるととても感慨深い。

 

でも、依里と湊はお互いの多面を知っている。これってすごい関係だと思う。

 

というわけで、

怪物は「多面性によって生まれる穿った見方」なのではないかと考えました。

 

 

 

 

③これはクィア映画なのか?

 

 

 私は何も事前情報を知らなかったのでこの映画がカンヌ国際映画祭において、脚本賞と日本映画初の『クィア・パルム賞』を獲ったことを知らずに鑑賞しました。

 

 てか、これ知ってたら相当なネタバレでは?だって、関係性が最初から分かってたら初めの第一幕と第二幕って要る?まあ、そもそもこれをクィア映画として観ることに疑問が残るんですよね。

 

これを書いている今は冷静なので、映画鑑賞後の自分の殴り書きをそのまま載せます。

 

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是枝監督の「怪物」を観て。後からクィア的な賞を映画祭でもらってたことを知ったけど、これはLGBT系の映画ではないような気がする。この賞をもらったことでみんなその面から見てるけど映画の本質はまったく違くて、それを描きたいものではないように思う。人には多面性があって、一部の側面から見ると怪物のようなところがあるよね、だけど他の側面から見ると意外と優しい人だったり、偶然のことだったりとかこれって意外と鑑賞者側に作品から訴えるように見えてくる。だから、映画の作中の人物が怪物なのではなくて一面を切り取って観てる特に早織の一幕を観てる時の鑑賞者を怪物と言っているのではないかな、そんな感じがした。

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 ②にも被ってしまいますが、映画の本質はそこだろうと感じます。確かにクィア的な見方が後半占めるけど、それだと前半不要になってしまう。それはなんか違う。

 

邦画「his」(宮沢氷魚さん主演)とかはそのような見方でいいと思うのですが。

 

 

 

 

④ラストの解釈

 

 

一番言いたいこと。ラストについて。

 

これも一旦、鑑賞直後の殴り書きがあるので。考察をいくつか読んだ後に書いたものです。

 

⑴ーーーーーー

ラストに関しては、最初確かに依里と湊は死んでしまったのかなって思った。だってあんなに雨風あったのにからんとしていて、鉄道の柵がなくなってるんだもの。「生まれ変わった」わけではない。脳も身体も何も変わらないまま死んだのではないかと。あんなに眩しい中二人で走る姿は印象的で幸せそうで、なんか何もかも解放されたように見えるからこそ「死んだ」ように感じたんだよね。でも、これを生きているという捉え方にするとまた深みを感じる。二人は生きていて、未来に向かって自分たち自身を肯定して生きていく、新しい宇宙で生きていくともとれる。実際にビッグクランチの話をしていたし、なんか依里と湊が生まれ変わったのではなく世界が新しくなったとも考えられる。だから柵はないし、こんなに晴れている。ラストは本当に苦しかった。死んでいる、って考えたからなんだろうけど死が救済なら安直、というよりハッピーエンド(メリーバッドエンド)だ。むしろ、安っぽいBLでさえこの題材は採用できる。現実に着地しているこの映画だからこそのラストなら「生きている」ほうがしっくりくる。依里はおばあちゃん家に引っ越して転校する。湊は「普通の家族」を望む早織と住み続ける。困難がこんなにも残って二人の前にあるのに、死で片付けられたらやはり簡単すぎる。二人は離れ離れになっても想いあえるのかな。湊は自分でもまだよく分からない依里への気持ちを早織に話せるのかな。無邪気な子どもだからこその葛藤が苦しくて苦しくて。じんわりとした仄かな甘いにおいがラストには残っている。きっとどのように転んでも二人はやっていけるだろうな。これは二人が一緒でも一緒じゃなくても。

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そして、考察をさらにあさってからこのように書きました。

 

⑵ーーーーーー

一方で、クィア映画なんだから「死んでいる」ラストは違うだろう、LGBTの話で最後死なせたら現実問題世間は変わらないままってことになるんじゃないかという反駁があったがこれも違うと思う。だってそもそもこの映画は別にLGBTを描きたかったものではないからである。そんなに描きたかったら最初から二人のストーリーで良かっただろうに。早織の第一幕と保利の第二幕、そして依里と湊の第三幕があるからこそ感じる感情とかを伝えたいんだろうに。

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⑵に関してはさっき③で言及したものなので、もう言及はしません。⑴についてもっと。

 

 我ながら「仄かな甘いにおい」という表現が好きです。ラストシーンの異世界感は他の映画では出せないものだろうと感じます。日本人の土壌として「死」が最後にあると強烈なインパクトがある、と思います。

 

小説でも二人の生死に言及していません。でも演出的には相当「死」エンドっぽかった...

 

そして「死」は幻想的で、ユートピア的。

 

待て待て、これってハッピーエンドじゃなくね...?

 

 よく言うメリーバッドエンド(メリバ)と言われるやつ(主人公が閉ざされた空間で幸せに終わる結末)ですが、これって外である世間は何も変わっていないということですよね?

 

「死」は安直すぎないかなーと思います。ずいぶんメタ的だとは分かっていますが。

 

 

 

 

あとですね、最後の二人のやりとり覚えていますか?

 

依里「生まれ変わったのかな?」

湊「そういうのはないと思うよ」

依里「ないか」

湊「ないよ。もとのままだよ」

 

 これって死んでないよね。「生まれ変わる=死」といった輪廻転生の話をしている本作において「もとのまま」って物語中の本人たちが言っているってことは生きてるよね。

 

生まれ変わらなくても、きっと二人は歩んでいける。生まれ変わる必要なんてない。

 

 早織と保利はきっと二人の関係性に作文を通して気づいたのではないでしょうか?どこかのコメントに「作文に二人の名前を並べて書くって婚約届みたい」とありましたが、とてもしっくりきます。

 

 

これって周辺の変化ですよね。

 

 湊と依里が少しだけ生きやすい方向に向いたってこと。それって世界(宇宙)が少しだけ明るくなったってことじゃないでしょうか。台風一過の青空のように。

 

 小説では「未知の世界へ」と書いていますが、二人は未来へ向かっていったというラストが一番気持ちいい。多分まだ、辛いことはいっぱいある。依里は父親からまた暴力を受けるし、学校ではいじめを受ける。湊は早織の「普通」とのズレにまだまだ悩み葛藤することでしょう。そんなこと二人はまだ分からないんです。

 

 昨今になってLGBTQが主張されていますが、ほんの前までは隠さなくてはいけないものだった。この子達にとってまだ「未知」の領域ではないでしょうか。

 

 これに関しては映画の時代設定を少し前にしてもいいかなと感じました。2010年くらい?若い先生の「男らしく」なんて時代遅れだなと感じたし。

 

 

 

 

何あれど、湊と依里にいい未来があると思う。

 

というか、二人ならこの宇宙でやっていけると思う。

 

例え二人が結ばれなくても、一生思い出に残る恋なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上です。最後まで読んでくださりありがとうございました。

(追記や編集があれば随時足していきます。)