I先輩は、昭和17年生まれだった。
歳は私よりも18年ほど先輩だった。
この先輩と肩を並べて、2年ほど仕事をした。
会社の飲み会に、どういうわけか1回だけ奥様も来たことがあって、奥様の顔も知っていた先輩の一人だった。
ドイツ人のような顔つきの器量の大きい感じの先輩だった。
私はこの先輩と自然と仲良くなって、昼休みに昼食を食べによく会社の外に出かけたが、先輩は、すれ違う会社の人の知り合いが多く、1回の食事で、知り合いにすれ違うたびに、挨拶を交わしているのだ。「ヨ!久しぶり!」「オス!」「おい!」しまいは「バキューン!」人それぞれに違った挨拶をする。たまに立ち止まって、話をしている。顔がとても広い人だった。
物理的にその先輩の顔も大きかったので、私が、顔が「ワイド&ビッグ」ですね。などと冗談を言っても笑って済ましてくれる人だった。
仕事中も、よく雑談もしたし、仕事仲間の何人かで飲みに行く機会も多かった。
会社の中では、仲の良い人の一人だったが、当時は、60歳で定年を迎えられた。
私が転勤している期間に、懐かしくなって、その先輩に電話連絡をとったことがある。
先輩が定年して半年くらいが経過していた。ひさしぶりに声を聴いて、「毎日、何をしているんですか?」と問うと、「毎日午前と午後の2回、犬の散歩をしているよ!」と返ってくる。「1日中、犬の散歩をしているわけじゃないでしょう?犬の散歩が終わったら何してるんですか?」と問うと、「うーん。犬の散歩かなあ。」という返答だった。
でも、お久しぶりに元気な声が聞けてよかったな、と電話を切ったのだった。
そのひと月後くらいだっただろうか。なんとその先輩の訃報が回ってきたのだ。私は、最初、その先輩のお父さんの訃報だと思った。しかし名前はその先輩の名前だし、なんと年齢欄に60歳と書いてあるではないか。間違いなくI先輩本人の訃報だったのだ。
信じられなかった。1か月ほど前に、以前と変わらぬ、あんなに元気な声を聴いていたのに。
後日ほかの先輩から詳しく話を聞いてみると、私が電話をした1週間くらいあとから激しい咳が止まらなくなり、入院されたとのことで、死因は肺がんだったそうだ。入院してから3週間で亡くなってしまったことになる。
現役の時からI先輩は、たばこのハイライトをよく吸っていた。私はたばこを吸ったことがないが、ハイライトは、結構強いたばこだと聞いたことがあった。
現役の時もたまに咳をしていたような気もしたが、引退して急に病魔が広がり、顕在化してしまったのではないか、と想像した。
どうしても信じられなかったし、遠方だったが、迷わずお葬式に参列した、知り合いの多かった先輩らしく、大勢の人が参列されていた。奥さんは気丈にふるまって、にぎやかなことが好きだったご主人のためにと、葬儀場の2階で、宴席がふるまわれた。にぎやかにI先輩の思い出話、よもやま話をすることで、ご主人も喜ぶし、供養になると思われてのことだった。
私は、しばらくして宴席をそっと抜け出し、1階に行って、お棺の前で、お坊さんの読経が終わるのを待っていた。
読経が終わると、お棺のところに行って、顔の上の窓からご対面させていただいた。
間違い無く、少し痩せた感じのI先輩が眠っておられた。
私は、ご対面できお別れができて本当に良かったと思った。亡くなったことが、どうしても心の底からは信じられなかったし、でも直接お会いしてお別れできて、心の区切りとモヤモヤがなくなった。
I先輩には、I先輩の寿命というものがあったのだろう。
今現在、私は、I先輩の亡くなった歳を超えている。
振り返ってみると40年以上も仕事をしてきたのに、いい思い出として思い出す先輩は、それほど多くはいない。仕事で尊敬するような大きな業績をした先輩もいっぱいいるが、心の中の琴線に触れるような人間同士の感覚として思い出す先輩は、それほどはいないものだ。もちろん、その先輩やその人ごとに挙げれば思い出すことは、結構あるのだが。
でもそれは、出世した人とか、仕事ができる人ということではなくて、そして年齢さえも超えて人間として波長があったり、馬が合ったり、仕事上の付き合いだけでなく、それ以外のつきあいやちょっとした人間的な魅力によるものだったりするものだと思う。
I先輩は、先輩のままで、心の中で今でも生きているように記憶されている。
歳は私よりも18年ほど先輩だった。
この先輩と肩を並べて、2年ほど仕事をした。
会社の飲み会に、どういうわけか1回だけ奥様も来たことがあって、奥様の顔も知っていた先輩の一人だった。
ドイツ人のような顔つきの器量の大きい感じの先輩だった。
私はこの先輩と自然と仲良くなって、昼休みに昼食を食べによく会社の外に出かけたが、先輩は、すれ違う会社の人の知り合いが多く、1回の食事で、知り合いにすれ違うたびに、挨拶を交わしているのだ。「ヨ!久しぶり!」「オス!」「おい!」しまいは「バキューン!」人それぞれに違った挨拶をする。たまに立ち止まって、話をしている。顔がとても広い人だった。
物理的にその先輩の顔も大きかったので、私が、顔が「ワイド&ビッグ」ですね。などと冗談を言っても笑って済ましてくれる人だった。
仕事中も、よく雑談もしたし、仕事仲間の何人かで飲みに行く機会も多かった。
会社の中では、仲の良い人の一人だったが、当時は、60歳で定年を迎えられた。
私が転勤している期間に、懐かしくなって、その先輩に電話連絡をとったことがある。
先輩が定年して半年くらいが経過していた。ひさしぶりに声を聴いて、「毎日、何をしているんですか?」と問うと、「毎日午前と午後の2回、犬の散歩をしているよ!」と返ってくる。「1日中、犬の散歩をしているわけじゃないでしょう?犬の散歩が終わったら何してるんですか?」と問うと、「うーん。犬の散歩かなあ。」という返答だった。
でも、お久しぶりに元気な声が聞けてよかったな、と電話を切ったのだった。
そのひと月後くらいだっただろうか。なんとその先輩の訃報が回ってきたのだ。私は、最初、その先輩のお父さんの訃報だと思った。しかし名前はその先輩の名前だし、なんと年齢欄に60歳と書いてあるではないか。間違いなくI先輩本人の訃報だったのだ。
信じられなかった。1か月ほど前に、以前と変わらぬ、あんなに元気な声を聴いていたのに。
後日ほかの先輩から詳しく話を聞いてみると、私が電話をした1週間くらいあとから激しい咳が止まらなくなり、入院されたとのことで、死因は肺がんだったそうだ。入院してから3週間で亡くなってしまったことになる。
現役の時からI先輩は、たばこのハイライトをよく吸っていた。私はたばこを吸ったことがないが、ハイライトは、結構強いたばこだと聞いたことがあった。
現役の時もたまに咳をしていたような気もしたが、引退して急に病魔が広がり、顕在化してしまったのではないか、と想像した。
どうしても信じられなかったし、遠方だったが、迷わずお葬式に参列した、知り合いの多かった先輩らしく、大勢の人が参列されていた。奥さんは気丈にふるまって、にぎやかなことが好きだったご主人のためにと、葬儀場の2階で、宴席がふるまわれた。にぎやかにI先輩の思い出話、よもやま話をすることで、ご主人も喜ぶし、供養になると思われてのことだった。
私は、しばらくして宴席をそっと抜け出し、1階に行って、お棺の前で、お坊さんの読経が終わるのを待っていた。
読経が終わると、お棺のところに行って、顔の上の窓からご対面させていただいた。
間違い無く、少し痩せた感じのI先輩が眠っておられた。
私は、ご対面できお別れができて本当に良かったと思った。亡くなったことが、どうしても心の底からは信じられなかったし、でも直接お会いしてお別れできて、心の区切りとモヤモヤがなくなった。
I先輩には、I先輩の寿命というものがあったのだろう。
今現在、私は、I先輩の亡くなった歳を超えている。
振り返ってみると40年以上も仕事をしてきたのに、いい思い出として思い出す先輩は、それほど多くはいない。仕事で尊敬するような大きな業績をした先輩もいっぱいいるが、心の中の琴線に触れるような人間同士の感覚として思い出す先輩は、それほどはいないものだ。もちろん、その先輩やその人ごとに挙げれば思い出すことは、結構あるのだが。
でもそれは、出世した人とか、仕事ができる人ということではなくて、そして年齢さえも超えて人間として波長があったり、馬が合ったり、仕事上の付き合いだけでなく、それ以外のつきあいやちょっとした人間的な魅力によるものだったりするものだと思う。
I先輩は、先輩のままで、心の中で今でも生きているように記憶されている。