NHKのBSで、「街角ピアノ」という番組を見ることがある。
海外や国内で、駅舎や公園など公共の場所にピアノが置いてある所にカメラを設置してピアノが弾ける通りすがりの人などの演奏する姿を放映し、簡単な人となりを紹介したり、演奏した本人のコメントなどを放送している。
演奏曲は、その曲名や曲の作者、作成年などが字幕で表示されることになっている。
演奏者は実に様々で、プロもいれば、独学でピアノを学んだ人などもいるのだ。
本日は4歳の時にピアノを習い始めた7歳の子が、ショパンの曲を上手に弾いていて、コメントは、「将来ショパンコンクールで1位をとりたい」というものだった。
私は幼稚園の時に数か月ほどオルガン教室のようなところに通った記憶があるが、右手と左手が同じ動きになってしまい、なかなか右手と左手を違った動きにするのに苦労した記憶がある。私は引っ越しを機に半年でやめてしまったが、兄は左利きで、小学校6年生まで、ピアノを習っていて、結構上手く弾けていた記憶が残っている。
今でもそうだが、大人になってから、ピアノが弾けたら人生楽しいだろうなと思うことしきりであった。結構古いが、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」の歌詞に共感した記憶もある。独学で結構上手く弾ける人を見ると、自分も始めてみようかな、などとちょっとだけ思うこともある。しかし残された人生の時間を考えると、なかなか継続して取り組めずにいるままだ。
私が高校生の時のある後輩は、小学校1年生からピアノを習い始めたが、小学校高学年くらいの時には、練習に行くのが嫌で嫌でたまらない時期があったと言っていた。それでも、親の意向に従うような形で高校生までピアノを習い続けていたのだった。
さすがに高校生になると難しい曲も上手に演奏できるようになっていて、高校の音楽の先生がたまに開催していた、音楽室での昼休みのピアノコンサートに推薦されて、弾いていたのを聴きに行った記憶がある。大変上手でびっくりした記憶が思い出として残っている。
本人は、「今になって思えば。あのやめたいと思った時にやめずに続けてきて、本当に良かった」と言っていたのを思い出す。「自分の特技のようなものは、ピアノくらいしかないから・・」などと言っていたのだった。しかし、本人は、吹奏楽部でクラリネットも上手に演奏していたのだが・・・。
世間ではよく、自分の好きなことを探してしてみよう、というようなことを聞くが、冒頭の7歳のショパンを弾ける子も、もしも夢をかなえようとして、ショパンコンクールに出場を目指すとなると、1日に何時間も練習する日々を何年も続けるような努力が必要になるのだろうと思う。
目標を達成するために、それらの努力を忍耐強く続けていくことは、並大抵のエネルギーではないと思う。もしかしたら、それでも嫌にならずに続けられる人もいるとは思うが、通常であれば、気晴らしのようなこととのバランスをうまくとったりしなければ、嫌気がさしてしまうこともあると思う。
例えば、ショパンコンクールで優勝するなどという偉業は、才能に加えてひと一倍の努力、いや人2倍 人3倍以上の努力が必要になってくるものだと推測する。才能に加えて、そういう努力ができ、それを実践し継続し続けることができた人の中からえりすぐられて優勝したり入賞するわけだから、偉大なのであろう。ショパンコンクールで入賞すれば、ピアノの世界では1流と認められる所以でもあろう。
ピアノを例にとってしまったが、何事も目標を決める、言い換えれば、志を決めることが最初で、それに向かっていかに継続して努力をし続けられるか、場合によっては、忍耐し続けられるか、ということが、重要なのだろうであろう。継続は力である。
当たり前のことだが、好きな道を選んでもそれをハイレベルにするためには多大な努力とエネルギー、忍耐や努力し続ける能力が必要だ。
海外や国内で、駅舎や公園など公共の場所にピアノが置いてある所にカメラを設置してピアノが弾ける通りすがりの人などの演奏する姿を放映し、簡単な人となりを紹介したり、演奏した本人のコメントなどを放送している。
演奏曲は、その曲名や曲の作者、作成年などが字幕で表示されることになっている。
演奏者は実に様々で、プロもいれば、独学でピアノを学んだ人などもいるのだ。
本日は4歳の時にピアノを習い始めた7歳の子が、ショパンの曲を上手に弾いていて、コメントは、「将来ショパンコンクールで1位をとりたい」というものだった。
私は幼稚園の時に数か月ほどオルガン教室のようなところに通った記憶があるが、右手と左手が同じ動きになってしまい、なかなか右手と左手を違った動きにするのに苦労した記憶がある。私は引っ越しを機に半年でやめてしまったが、兄は左利きで、小学校6年生まで、ピアノを習っていて、結構上手く弾けていた記憶が残っている。
今でもそうだが、大人になってから、ピアノが弾けたら人生楽しいだろうなと思うことしきりであった。結構古いが、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」の歌詞に共感した記憶もある。独学で結構上手く弾ける人を見ると、自分も始めてみようかな、などとちょっとだけ思うこともある。しかし残された人生の時間を考えると、なかなか継続して取り組めずにいるままだ。
私が高校生の時のある後輩は、小学校1年生からピアノを習い始めたが、小学校高学年くらいの時には、練習に行くのが嫌で嫌でたまらない時期があったと言っていた。それでも、親の意向に従うような形で高校生までピアノを習い続けていたのだった。
さすがに高校生になると難しい曲も上手に演奏できるようになっていて、高校の音楽の先生がたまに開催していた、音楽室での昼休みのピアノコンサートに推薦されて、弾いていたのを聴きに行った記憶がある。大変上手でびっくりした記憶が思い出として残っている。
本人は、「今になって思えば。あのやめたいと思った時にやめずに続けてきて、本当に良かった」と言っていたのを思い出す。「自分の特技のようなものは、ピアノくらいしかないから・・」などと言っていたのだった。しかし、本人は、吹奏楽部でクラリネットも上手に演奏していたのだが・・・。
世間ではよく、自分の好きなことを探してしてみよう、というようなことを聞くが、冒頭の7歳のショパンを弾ける子も、もしも夢をかなえようとして、ショパンコンクールに出場を目指すとなると、1日に何時間も練習する日々を何年も続けるような努力が必要になるのだろうと思う。
目標を達成するために、それらの努力を忍耐強く続けていくことは、並大抵のエネルギーではないと思う。もしかしたら、それでも嫌にならずに続けられる人もいるとは思うが、通常であれば、気晴らしのようなこととのバランスをうまくとったりしなければ、嫌気がさしてしまうこともあると思う。
例えば、ショパンコンクールで優勝するなどという偉業は、才能に加えてひと一倍の努力、いや人2倍 人3倍以上の努力が必要になってくるものだと推測する。才能に加えて、そういう努力ができ、それを実践し継続し続けることができた人の中からえりすぐられて優勝したり入賞するわけだから、偉大なのであろう。ショパンコンクールで入賞すれば、ピアノの世界では1流と認められる所以でもあろう。
ピアノを例にとってしまったが、何事も目標を決める、言い換えれば、志を決めることが最初で、それに向かっていかに継続して努力をし続けられるか、場合によっては、忍耐し続けられるか、ということが、重要なのだろうであろう。継続は力である。
当たり前のことだが、好きな道を選んでもそれをハイレベルにするためには多大な努力とエネルギー、忍耐や努力し続ける能力が必要だ。