今日のブログの更新頻度は多いけど、それだけ不安定なのかも知れない。


歯車が壊れきってしまったのかも知れない。


そもそも20歳までの学生の時までは就職なんて全く考えてなかった。


金銭欲がなさすぎるという問題もあったんだと思う。


本当は順調に行っていれば前の職場を離れずに今も続けて、それで


仕事をやり続けていたんだと思う。


だけど、そう簡単にはいかなかった。


高校時代から電車に乗るととても息苦しいのがあった。


専門学校時代になった時は電車の中で苦しくてしょうがない時もあった


けど、今程逃げてはいなかったと思う。


専門学校を卒業してから就職して、職場については電車に長時間乗るのが


困難がわかっていたのでとにかく近い場所に引越しをして通勤できるように


していた。でも、それでも苦しさは変わらず蒲田始発電車を狙い極力不安を


引き起こさないように朝すっごい早く7時に会社にいつもいた。


はじまるのは8時45分なんだけどね。


帰りは17時ジャストに帰っていた。


その理由もラッシュが始まったら、電車に乗る事ができないから。


誰かいても変わらず乗れなかった。


1駅3分と計算をちゃんとして無理な場合は1駅で降りて次の電車と


繰り返しをしたりもしていた。


それ程きつかったから。


人の空気が苦手だったのもあるかも知れない。


それでも続いていればよかったけど、やっぱり限界が来てしまった。


会社で早朝倒れてた・・・


ってより倒れたかった。


もう無理と体が告げてきた。


胃痛は毎日のように続いて薬は毎日飲んで、冷えピタも毎日貼ってた。


熱があった訳じゃないけど、仕事中に頭に血が昇ると苦しくなってたから。


他の人には頭が痛いから冷やしてるだけとか言ってたけど、内心は違った。


風邪とは明らかに違う症状。


孤独によって精神的に限界が訪れていた証。


彼女もその近くに別れた。


別れてからピークを迎えたのは間違いない。


・誰もこない

・誰もいない

・誰も話せない・・・


孤独と貧乏な生活でギリギリをしていた。


ゲームセンターにいても一人。


家にいて物音にびくびくしている毎日。


実家に月に1回帰っていたけど、それでもカバーできなかったのが


本当の理由だったんだろう。


それ程過保護な生活環境にいたにも気づかずにいた自分の結果。


そして2年の月日が経った後に隣のおばさんがホームページ作成とか


ネットショップ運営で探している人がいるとかいってて、うちが紹介された。


1人だけど、なんとかやっていけると思っていた。


それと親がいわく、次の職のリハビリになるのではないかという気持ちで


はじめた。


はじめた時はまだなほとんど適当な感じになっていたから、情報を集めたり


色々と解析したりするだけでなんとかなっていたがネットショップが始まった


頃から色々と悩みが始まった。


ネットショップをはじめるのは一人。


手伝ってくれる人もいなかったので、初期の全てを全部何もない状態のを


作り出してたから。


商品紹介等も個別に考えてやらなきゃいけなかったから。


初期段階は特に困るより忙しいのばかりだったからよかった。


だけど、数ヶ月過ぎた後に思った事があった。


「売り上げがほとんどない」


それが一番のネックであった。


売り上げがなければ意味がない。


むしろ自分の給料と合わせるとマイナス処理にしかならなかった。


自分的に考えて一人では不可を伝えたが聞き入れてもらえなかった。


事務のおばさんに相談しても「わからないから」と一言。


ここでもまた孤立が始まってしまった。


その孤立のまま数ヶ月経った。


社長はうちを適当に扱うのはいいが、ネット関係は一切何も言ってこなかった。


「全て一任しているから」


それだけ。でも、その言葉が一番重かった。


一人でやるのに限界を感じていたから。


自分が考えて企画やメール配信をしてもいつも見てくれる人は一桁。


それで購入があるかといえば全くなし。


広告をするって方法もあるが、それは費用がかかるし広告画像等の


処理は全て自分。


限界を感じているのに更に限界が来てた。


それで社長はうちが暇そうにしているからと、現場に行かせる日々が


数回続いていた。


うちとしては納得いかなかった。


社長の評価としてはたぶんうちの事を何も評価してなく、ただも雑用事務


ぐらいしか考えてなかったんだろう。


職人がやる仕事までやらされてから完全にキレた。


給料も職人の方が上。


それなのに論外の仕事をうちが安い金額でやらされる。


ただ、会社として安く済ませたいからじゃないか。


うちだって新年に向けてで商品準備やデザインを大幅に変更等を作って


暇をしている訳じゃなかったのに何も理解してくれなかった。


最終的にはもう辞めた身なので、これ以上はないがうちを雇ってくれた


恩だけは返さなきゃいけないのでストア閉店作業は全てやるといってきた。


そして、現在の休養に至っている訳である。


でも、今の休養はある意味、意味が全くないかも知れない。


まずはお金の面で追われている事。


携帯代があったりその他購入したものとかある。


すべて借りたままにずっとなっているので、それは親に返さなきゃいけない。


でも、今は休養をしなければいけない。


でもお金は親が待っていたとしても自分としては消えない。


仕事を探しているが見つからない。


ジャンルを問わずにしても、どの職業がいいのかわからない。


それに今日になってわかったのが、彼女の職場も8月~9月で閉店するらしい。


そうなると彼女も新しい職場を探さなきゃいけない。


そんな時に自分が何もしてなかったらどうしたらいい。


彼女を支えるというよりも、ただもダメな男。


親元から離れる事もできず、ニートでしかない自分。


病気も治りそうな傾向にあったとしても改善余地はない。


自分の気持ちが夜になると明らかに下がっているのがわかる。


ここ最近は毎日のように病んでる。


・何もできない自分

・変わりきった性格で取り扱いにくい

・人見知りがひどい

・接客が究極に緊張してできない

・逃げる


何も良い点なんてない。


彼女だって本当のうちが見えているかといったらたぶん見えてない


かも知れない。


今日だってさっきやる事がないと何かに追われる事で泣いてた。


心がすごく沈んでいる。


薬のせいじゃない。


気持ちの問題。


愛している気持ちは彼女に対しては変わらないけど、本当の自分は


たぶん何もしてあげる事ができないのかも知れない。


できていたらこんな状態になっているなんてありえない。


彼女は今は幸せかも知れないけど、これがうちには限界なんだよ。


なるべく幸せと安心させてあげるようにしてはいるけど、これからは


もうそれをしてあげるのもできないかもしれない。


仕事に就けない限りは何もできないから。


今日もだったけど余裕はなかった。


電話くれたけど、話す気分になれなかった。


余裕がなく話を聞いてあげる事はできなかったから。


今後も暫く同じ状態が続くかも知れない。


この状況が抜け出せないから。


ここ最近の問題ではない。


24歳の時に失職してからの話だから。


失職させられるとは思わなかった。


鬱・パニック障害という精神的な病気で。


会社もフォローしてくれなかった。


もう1回休みを欲しかったけど断れて退職願いを


勝手に全てかかれていた。


うちの目の前にあったのは印鑑欄のみ。


それを押して用事は以上と言われただけ・・・。


プライドがすごく傷ついたし訳わからなくなってるんだろうな。


今の自分も・・・