心を超越するというと

結構、欲望を諦めて、捨てて、捨てていくものだと思っている方が多いのですが

それだと、辛くなるんです。

 

実際は、「含める」んです。

だから、苦しくないんです。

だから、満ち足りているんです。

 

チャクラが、海を持った一つの丸い惑星だとすると

一つの欲望は、海の表面に立った一つの波です。

その一つの波が、「ほかの対象」にくっつかせる事をせずに

ただ、海に再度溶けさっていくのを、眺めているだけでいいんです。

波が静まれば、海は静まるんです。

そして、「見守る」という瞑想法は

一番深い海の底から、表面の、遠くのさざ波を見守っている事です。

「あー、なんか、ちっけえ波が、チラチラしているなあ」

くらいのもんで

あなたは、影響を受けないんです。

 

過去生すら、一切合切吞み込んで、含めてしまった海のような人が、どうなるかといいますと

どんな波を立てる人を相手にしようと

その波に合わせて、さらさらさらさら、自分の波を合わせていく事が出来るんです。

自分の過去生の経験すべてを、自由自在に使いこなすことができる、ということです。

 

そういう話題が好きな方と喋る時には

平気で下ネタさえ言って、仲良くできますし

私は、人と話すときは

「みんな、食べ物が好きかな?」

と、人類共通の外れの無い話題かと思い

もっぱら、~が美味かったよ!とか、もっぱら食べる事の話を楽しくします。

そして、仕事をするときは、仕事三昧になれますし

書き物をするときは、書き物三昧という風に

行為の対象と、いくらでも調和し続けていられるんです。

 

ただ、本人は見守っているだけで、いつでも満ち足りて静かなんです。