本当のははは200909172155大阪市内のホスピスですいがんで天国へ旅立った。大学病院での闘病生活治療しなかったら余命半年で仕事しているいっちゃんの時間に開けて消化器外科の先生が告知してくれた。よく半年仕事しながらお見舞いにいきすいがんの抗がん剤や放射線治療をうけてきた。ほかのがんみたいにかみぬけないから末期までほとんどがんてわからなかった。かなりぽっちゃりやったのにがりがりやったのは大学病院の食事がまずくてよく京都大丸で食品かってきたな。

いっちゃんね母がたんかんに転移したとき学校辞退しようと思った。でもしなくてよかったとおもう。毎日お見舞いいけたしでも何度も9回目のステントいれたときもいてあげられなくて申し訳なかった。最後の異変おきたとき夜勤中だったらと思うと辛かった。倒れたときはまた精神科救急みたいニケタぐらいまでことわれるのね。末期患者だから 消化器出血してたから3日もつか覚悟してくださいと3日前まで大学病院いってたのに。大学病院まで断われる。最後ののぞみでホスピスある病院は救急隊にいったら受け入れてくれた。
夜中親戚きてくれてよご単位まで教えず代わりばんこにきてくれた。家かえり荷物とりにかえって初めて号泣した。3日だけ他の病棟だったから辛かった。でもホスピス生活はかなり楽しかった。優しい看護婦さんたち音楽療法やNS CALLギャッチで壊したりする事件があったから。母には過去に養父母に虐待があり大学時代の親友が母代わりだった いっちゃんはまぁみが母の闘病中支えやったよ。まぁみが本当のままじゃないことわかってたけど依存してたな。それぐらいががんの家族いたらささえあいないと乗りきれないと思う。持続モルヒネのときも両親の親友がいてくれた 心づよかった なくなる寸前仕事かえったとき一時間後いきとまって引き返してくれた。エンゼルケアのとき一緒にしてくれた看護婦さんおみくりのとき泣いてくれてもう緊張の糸がきれたように号泣やった。みんな残ってくれて担当の人もおみくりしてくれた。いっちゃんにはまぁみが必要やったからホスピス生活泣かずに笑顔にいれたんだとおもう。感謝してる。もう二年目になろうとしている。葬儀は家族葬に近い形にした。お母さんの願いやから。