これ、挨拶やめて。



わたしのことに変えないとね。




わたしは、この時に、、


小学校夜の音楽室を欲して、、


それは、それは、キーボードでは、

彼の妹が誕生日にくれました。


追いつかず、、

大学の課題。


シューベルトの即興曲で、、

90-2 とにかく、弾かないと

いけない。グランドピアノ。



で、、


何回か行きました。


強いヤツだと思います。


こわがりなのに。



ムチャムチャこわがり。



あの日も、一回着いてきて

くれたね。



わたしのピアノは、、

わたしのいきる歴史でした。



だから、シャントをして

左手が壊れた時。。より、



その、腎不全で救急センターに

行く前あたりに、、


ピアノが弾けなくなること。



を、知り、、

死のうと思いました。


本気でした。



母が、、

ポコチャン、生きて!!



って、言ってきたときだけ、

頭にきて、、


大丈夫だから!


って、涙出て嘘ついてました。




わたしは、死にたかった。


ホントに

相方くんにも!新しい人生を

あげたいし。。



わたしなんか、こんな人生しか

築けない最低だと、


自分でも、全てに、

生まれてきた時から、

生まれたくなかった。




歓迎されず、女の子で生まれ。。


コロナでたくさんの方が

亡くなるあの日々に、


も、悲しみとか麻痺していた。



ちょうど!

腎不全。。


アレルギーと言われて

いいかげんな状態だったから。



息は途絶えて、、




でも、ピアノ弾く時だけ

苦しくならなかった。




涙出ました。



わたしに

ピアノは、息さえ

もどしてくれました。



いまは、弾く時2曲クラシック

はムリみたい。


軽くしか弾けません。



生きると決め直して、、



コロナで病棟で、

家族も入れない

おばあちゃんのベッドを

見に行き、、



おばあちゃん生きて!

おばあちゃん、息をもどして、


と、何回も願い、、


わたし、こんなのじゃいけない。


命をかけて、助けてくれた

医療者の方に、

申し訳ないと思いました。



透析のキャップが、

がんばれ。


がんばれ!

って、



痩せていたときは、美人やったん

やろうなあ、

とか、励ましてくれました。




やめようかな。

ちょい、眠らないと。



またね。