さてさて ( ̄^ ̄)ゞ


5月5日は?

子供の日、端午の節句🎏

端午の節句ってえー


端午の「端」には初めという意味があります。「午」は「5」と同じ読み方をすることから、端午は初めの5の日、すなわち「毎月5日」のことを示す言葉として古くから使われてきました。

元々は5月以外の月の5日のことも示していた端午ですが、やがて月と日の数字が重なる5月5日を指すようになったと言われています。


「節句(せっく)」とはいったいなんだろう?


日本の文化であり風習である「節句(せっく)」。節句は、季節の節目となる日を示す言葉です。日本では古くから、伝統的な年中行事を行う日として大切にされてきました。

一年の間にはさまざまな節句があります。江戸時代にはそのうちの5つが、正式に公的な祝日として定められました。これを「五節句」と言います。1月7日の「人日(じんじつ)の節句」、3月3日の「上巳(じょうし)の節句」、7月7日の「七夕(しちせき)の節句」、9月9日の「重陽(ちょうよう)の節句」とともに、5月5日の「端午の節句」も五節句として定められた日です。


まぁ〜!

子供の日の休日で良いか(笑)

でもウチの地域じゃ長野堰の清掃だニヤリ


長野堰用水は、古くは室町時代より農業や市民生活に利用され、高崎市の発展の礎として大きく貢献している施設です。高崎の街や水田地帯は2つの自然河川に挟まれていながら、その台地状の地形から水の恩恵を受けにくい地域でした。水利に乏しいこの地域を潤すために長野堰用水の開削が始まったのは、約1100年前と言われています。1814年にはサイホンを新設して、榛名白川を横断したという記録が残っており、当時から高い土木技術と知識があったことが明らかになっています。


また、1901年に建てられた、長野堰用水を開削した先人の労をねぎらう石碑には「本堰烏川の水を引き、獲るところの稲の量は五万石に満ち、また、これを飲みて生ける民は高崎を始めおよそ十万人に余る」と刻まれています。このことからも、古くから農業の発展のみならず、市民の生活を大きく支えてきた施設であることがわかります。


現在では一級河川烏川から最大5.787トン/秒を取水し、幹線水路は15箇所の水門で分水しながら、8.6キロメートル下流の円筒分水堰でさらに4支線に分岐しています。この分岐した4支線の延長は17.1キロメートルで、現在も340ヘクタールの水田を潤しています。


まっ♪

長野堰の歴史なんて知らなかったけどねぇ〜。

水田に水を入れるために重要な堰と言うのは知ってたえー


国際かんがい排水委員会(ICID)は、平成28年11月8日タイ王国チェンマイで開催の第67回ICID国際執行理事会に於いて、日本国内では長野堰用水を含む14施設を平成28年度世界かんがい施設遺産に登録したことを発表しました。

 関東地方では、本県甘楽町の雄川堰に続き2例目の登録です。


まぁ〜平成28年に世界かんがい施設遺産に登録されたらしいけど全然知らんかった。


まっそんな長野堰の清掃でした。


その後に、ジャガイモ🥔の草刈りと土寄せを。




ジャガイモの花


まだ5月なのに気温がドンドン上がって7月の気温に!

ヘロヘロになりながらの農作業だったので!

お昼🕛ご飯は外食だ!



サッパリの蕎麦だ。

午後は、台所の片付けかえー