今、感じること 考えること
アジカンのゴッチの本「何度でもオールライトと歌え」を買ってきた。実際、買うつもりなんてなかった。でも、ツイッターで置いてないかもしれないなんて書いてあるから、宝探しをする気持ちで探してしまった。そして、見つけた時には「これだ!」と心で叫んで、欲しいおもちゃを大事に抱える子供のように手に取ってしまった。その後はもちろんまっすぐレジ…には行かず、ゴッチ語録を探しに向かう。この際二つ買わないと気が済まなくなっていた。しかし、もう宝探しをする気が起きなかった。なぜなら、早く読みたいという欲求が湧き上がってしまったからである。だから店員に「ありますか」と尋ね、見つけてきてもらい二冊購入。帰宅後、すぐには見ずに少し焦らす。Mではない。誰も俺のこと気にしてないし、焦らしたってしょうがないってのも分かっているんだけれど、時間を置くことでもっともっと熟読できると考えたからだ。そして、さっきまで「何度でもオールライトと歌え」の3分の1を読み終えたところだ。別に飽きたとかではなく、ここですべて読んでしまうのはもったいないと感じたからだ。実際に震災について書かれている内容を読んで少し泣きそうになってしまった。震災についてこういう風に考えている人がいるんだ、と思った。まぁ、アジカンの曲を流しながら読んでいたら、ちょうど「ひかり」が流れたっていうのもあるんだけれど。震災の時、自分はまだ大学生で今後どうなるんだろうとしか考えていなかった。仙台にいたこともあって4日は避難所にいた。自分がいた地区は水道しかライフラインが回復していなかったから情報があまり入ってきていなかった。震災から2日か3日たったころ、初めて津波の映像を見た。衝撃だった。まず、津波で根こそぎ海にもっていかれている映像。俺の友達は無事か。そこに住んでいる人は無事なんだろうか。頭が真っ白になった。原発のニュースもラジオで聞いていて気になってはいた。なぜなら実家は福島にあるから。どんな状態であれ家族がいる福島に帰る以外選択肢はない。だから高速バス、電車、あらゆる交通手段を探す。しかし、見つかったのは山形行きの高速バス。親にその情報を話したら、山形に迎えに行くからそのバスに乗れというものだった。山形に着くと、飯をろくに食べてなかったから飯屋を探した。衝撃だったのが選ぶほどの飯屋があったこと。仙台では考えられない光景。そして、そのなかで居酒屋を選ぶ。お酒が飲みたいわけではなく、いろんなものが食べられる方がいいと思ったから。原始人が飯にむさぼりつくように食べた。泣きそうになった。そして、親が迎えに来るまでまだ時間があるようなので時間がつぶせる場所を探した。カラオケがやっていて、そこで時間をつぶすことにした。部屋に入るなり、震災前までの日常に戻ったような安心感からか自然と泣いてしまった。ふと、その時の体験がよみがえった。そしてアウトプットしないと自分がおかしくなりそうだと感じた。ゴッチの一言、一言が自分に突き刺さった。明日も続きを読んだらこんな気持ちになるのか。でも、読みたい。感じたい。知りたい。色んな気持ちが自分にある。もう何を言いたいのかわからない。文章にもなってないように思う。途中からめちゃくちゃ。というか最初からぐちゃぐちゃ。何が言いたかったかというと生きてて良かったただこれだけ。