現状の世界線では、犬が誰の力も借りずに自力だけでインドから日本へ渡ってくるのは原則不可能なわけですが...
なぜか「チョビさんが日本まで自力で移動してきた」という夢を見てしまいました。
夢の中とはいえさあ大変。
インドでの生活と違って、日本で犬を飼うのはお金もかかって一苦労でありますゆえ。
「会えて嬉しいけどどうやって来たの?」
「日本で飼うのは苦労するし、チョビさんの自由権がぜんぜんなくなっちゃうしどうしよう」
「よく無事だったな。どうやって家に連れて帰ろう(家からかなり離れた出先で遭遇した、という設定のため)。あとで連れて帰ろうか、いやでもその間に保健所とかに連れて行かれてまずいことになったりしないだろうか」
......等々、いろんなことが脳内をグルグルしてしまった夢でした。
(↓2013年5月1日/インド)
目が覚めて、「ああやっぱり、チョビさんはインドに置いて来て正解だったよなあ。お互い寂しいけど」と思う内容の夢でしたね。
「自分たちが寂しいという理由だけで日本に連れてきたら、屋外でのチョビさんの自由権や行動選択権をほとんどすべて奪ってしまう生活になるから、それはよくない。日本に連れて行こうと思うこと自体がエゴだ」
と日本に帰ることを考えてなかった時期でさえずっとそう思っていたし、今に至るまで一貫してずっとその考えは変わっていません。
彼女が自由に動き回り、自分で周囲との関係を構築し、それを見たり知ったりするのが楽しかったわけですから。
いわば、「互いの精神が独立した状態で、お互いを慕い合う」のがよかったんですよね。
もともとの馴れ初めも、チョビさんの方が我々を知って「この人たちと仲良くなりたい」と思いアプローチしてきた......で、彼女が能動的に我々を「群れの仲間として選んでくれた」のが嬉しかったわけです。
その馴れ初めや友情を育んだ経緯を考えると、「日本に連れてくる」ってやっぱり「違う」んですよね、我々がチョビさんへの愛情を示す手段としては。
幸いチョビさんは「人コマシの達人」でして、現在の寝ぐらになっている我々の元お隣さんおよび周辺一帯の住人たちにとても気に入られておりまして、元お隣さんからも「今でも周りのみんなとうまくやってるわよ」というご報告を時々いただきます。
それを聞くと、「やっぱりインドに置いてきて正解だったなあ」と思うわけです。
まあ、マンガロールの人たちが犬を邪険にあまりしない平和な状況があってのことですが。(これがケララ州だったりするとちょっと話が違ってくる)
そういったことをついつい思い返してしまうことにつながる夢でした。