学校の国語(日本語)の授業で何を学んでいたかを思い返すと......
「作者は何を考えていたか、この登場人物は何を考えていたか」など、「わかるかいそんなもん!」と突っ込みたくなるような、
「推測せよ」「察知せよ」「心を読め」
...的な内容ばかりを記憶しています。
節子、それ国語(日本語)を学ぶ授業やない、読心術の授業やで。
とツッコミ入れたくなるほど、そればかりを記憶しています。
そりゃ、学校でそういう授業ばかりやっていれば、
「察しながら話しているだけで、きちんと確認もしていないのに、なんとなくわかった気になって正確なコミュんケーションを自分自身ができてると誤認する日本語ネイティブスピーカー」
が次々と量産されていくわけだ、と個人的には納得してしまった次第であります。