『仮面ライダー電王』同様、「人の世は、人の魂の連鎖でつむがれてゆく」という世界観をEDテーマ曲「道(タオ)」と共に示してくれて、今日最終回を迎えた『獣拳戦隊ゲキレンジャー』。

最初は「大丈夫かな?」という不安が否めませんでしたが、例年以上に「人として大切なこと」をメッセージとして強く発信している感があり、そういう点では最終的には佳作に成長したのでは…と感じました。


「獣を心に感じ、獣の力を手にする拳法・獣拳。獣拳に相対する2つの流派あり。
ひとつ!正義の獣拳・激獣拳ビーストアーツ!!
ひとつ!邪悪な獣拳・臨獣拳アクガタ!!
戦う宿命の戦士たちは、高みを目指して、学び、変わる!」

OPでのこのナレーションが、最終回限定で差し替えられ

「獣を心に感じ、獣の力を手にする拳法・獣拳。獣拳に相対する2つの流派あり。
ひとつ!正義の獣拳・激獣拳ビーストアーツ!!
ひとつ!邪悪な獣拳・臨獣拳アクガタ!!
2つの流派はひとつに還り、いま最後の戦いが始まる!!」

という何とも心憎い演出。

単にラストバトルを戦うだけではなく、最終決戦においてまでも
「心と技と身体を合わせたトライアングルが、常に高みを目指して変わろうとする」
姿を描いてくれたようにも思います。

不老不死で何を以ってしても破壊できない敵・無間龍ロンを、かつて七拳聖が封印された技・慟哭丸(どうこくがん)で永遠の闇に封印するゲキレンジャー。

それはロンにとってはまさに、
「みずからの退屈しのぎのためだけに、古今東西世界を惑わし苦しめてきた報い」
と言って良いでしょう。

そして、不老不死のロンと違い、その命には限りがあるジャン達ゲキレンジャーのトライアングル(レッド=漢堂ジャン、イエロー=宇崎ラン、ブルー=深見レツ)の3人は、
「獣拳をズンズンと次の世代に受け継ぐ」ことで、
「慟哭丸を守る役目も、正義の心も受け継いでいく」
ことを決心するのです。

「高みを目指して、自らが学び変わる」だけではなくて、それによって得られた成果を次へと受け継ぎ分かち合う=魂の連鎖こそが、人の世の営みであり、人間が持つすばらしい要素のひとつなのかもしれません。

シリーズを通して「ゲキレンジャーの正義」とは、「苦しんでいる人たちを守ること」と定義づけられていました。
テロリストですら「正義」を唱えることがあるのが現実世界で起こっているだけに、「他の誰かを“守る”」ことを前面に押し出すことが意識されたのかもしれません。

アクション面では、同じカンフー戦隊である『光戦隊マスクマン』や『五星戦隊ダイレンジャー』に比べると、「わかりやすく中国武術!」と一般の方には伝わりにくい面もあったと思いますが、実際に武術訓練の経験があるJAE(ジャパンアクションエンタープライズ/旧ジャパンアクションクラブ)の喜多川務氏ならではの、「そう来たか!」という動きもあり(名乗りポーズに八卦掌を使うとは思いつかなかった!)、特に最終回でのトライアングル(レッド・イエロー・ブルー)vsロンの連続コンビネーションによる殺陣は、ワイヤーに頼っている部分を差し引いてもまさに「JAE大暴れ」で、長年特撮アクションドラマを真剣に作り続けてきた東映特撮の面目躍如と言っても良いかもしれません。
(ちなみに喜多川氏は、蝙蝠師匠もといバット拳の使い手・拳聖バット・リーのスーツアクターも務めていらっしゃったそうで、着ぐるみを着ているとは思えない素晴らしい扇の演武と旋子を、ドラマ本編中で披露してくれています)


電王最終回はもぉボロ泣きでしたが、かたやゲキレンジャーは、成長したのはゲキレンジャー側だけではなく、当初の敵である臨獣拳アクガタもだったのだなぁ…と胸に重く染み入った、じんわりの涙になりました。



ゲキレンジャー、1年間、本当にありがとう!

 

 

 

前ブログでの最終更新日  2008年03月30日 23時32分27秒 

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