この日の早朝、めずらしく派遣会社などオフィシャルなところ以外からの電話が、私の個人携帯にかかってきました。

本当にめずらしい出来事です。

どのくらい久しぶりだろ、オフィシャル以外の電話なんて。

軽く何ヶ月...っていうくらい久しぶりなので、前回がいつだったか思い出せないや(苦笑)。

電話はなんと、はるばる北海道からでした。

あ、もちろん実家じゃないですよ。そんなのあるわけないじゃないですか(笑)。
連絡先はこっちでも廃棄処分していますし、「絶対連絡して欲しくない!」と私が心底切望しているのは向こうにも直接キッチリ伝えてありますから、1年に1回だって連絡はありません。


電話の主は、生まれて初めて武術の教室に参加したときからの知人の方でした。

お互いにすっかり「指導する立場」になっていますが、全国大会の会場でお会いするたびに「(技術的に)どういう指導をするのが良いのか、という考え」などをお互い確認するお話などを少しさせていただき、私自身の「誰でもかれでもやたらめったら画一的に...という指導は避ける」という基本方針を改めて再確認できる、学ばせていただいている存在です。

早朝から、それも遠距離からわざわざ電話をいただいた理由は......

私の日記でした。

『2007/10/18(水) ダウン 』および『2007/10/26(金) さらにダウン』を読んで心配になり、わざわざ電話をくださったのです。

私がダウンしたそれは「欝」の症状ですから、と。

その方の友人がやはり同じような症状になり、欝で苦しんだあげく......(以下自重)
だったので、心配になってしまった、と。


ええ、わかります。

私自身もただ苦しい苦しいでダウンしまくっていたわけではなくて、この10年近く何回となくメンタルヘルス系の本などを読んだりして自分でも再三学習を繰り返し、苦しいながらも必死に自問自答を繰り返し、絶え間なく襲ってくる「死にたい」願望が武術によって「のみ」現世に引き戻される生活を断続的に何度も何度も繰り返してきました。

だから、自分の症状は把握しています。

ただ、日本ではこの分野での自分に合った医者や診療機関を見つけるのは、身体面のそれに比べてまだまだ難しく、非常に立ち遅れているので治療にかかることの方がむしろリスクを背負うことも多い...という面も学習してよくわかっていたのです。

ごくごく近年になって、やっと「欝」が「心の病気ではなくて、脳の病気だ」ということが認識されはじめ、テレビCMでも「本当につらかったら、1ヶ月続いてもそれが改善されなかったらそれは「うつ」です。ちゃんと相談してください」などという、「欝は誰にでも襲ってくる可能性のある病気」というより的確な啓蒙がされるようになってきましたが、そのCMをはじめて見た時に、

「1ヶ月どころじゃないよ......」

と泣きそうになったのを今でも覚えています。

雑誌やテレビ番組など、メンタルヘルスの特集などをするときに「自己診断チェック」が必ずといって良いほどあるので、そういう自己診断系をついやってしまう私はもちろんチェックしてみるのですが、ほとんど100%に近い確率で「要注意」「完全に欝、すぐに病院へ!」という結果しか出ないのです。

武術がなかったら、こういう状態が10年近く続くことにとうてい私の人生が耐えられなかったでしょう。

実際、練習の日時以外は自室でずっと起きられなくなり、トイレに行くのに起き上がるのさえ「精神がどうにもつらく」なってよろけながら行く始末で、

「ああ~このまんま明日には餓死してたら楽に死ねるのになぁ......何でこういうつらい時に人間って1日で餓死できないのかなぁ......」

という考えだけが脳裏を日がな1日駆け巡る...という日々が連続1週間、連続2週間、などという日も何回かありました。

武術に出会ってなければ、もっといさぎよく死ねたのに。

武術がなければ、このまんま餓死するまでヘタりきっていられるのに。

でも、武術があったばっかりに。

なかなか思うようには死ねませんでした。

こういう状態は、私の実際の「体感」として「武術に憑依されて、武術に動かされている」状態でした。

あぁー、なんか『仮面ライダー電王』でタロス達(モモタロス、ウラタロス、キンタロス、リュウタロス)が主人公・野上良太郎に憑いたときみたいだなぁ.....と、そういう感じです。

要するに
「本人じゃないものによって自分の身体が動く」
みたいな。

自分の心が穴ボコだらけでひしゃげたまま復元することができていない感覚のままこの20数年を生きている私にとって、武術に関わっている瞬間だけはその穴やひしゃげた心を「武術が埋めてくれて」何とか人並みくらいの心のありようになれるのです。

ずっと、そんな風に生きてきました。

今も、まだそれを払拭し切れずに日々を送っています。

穴だらけでひしゃげた心は、身体のそれと同じで「治るのに時間が必要」ですし、ヘタをすれば身体のそれと同じようにゆがんだまま元に戻らないこともあります。

いまだに、「元に戻った感」はありません。

本当につらくて、どうにも苦しくて仕方が無いときに限って
「何バカなこと言ってるんだ。お前は欝なんかじゃないから病院なんて行く必要ないよ」
と、「精神科・心療内科=気が狂ったやつの行くところ」だからお前は行く必要ない、お前は正常だ、みたいな理解の乏しい人に退路をふさがれるような言動をさんざんされたり、

ただただ「つらい」「苦しい」ことをありのままに認知・理解して欲しいだけなのに

「なに悲劇のヒロインぶってんだ!」

と断罪されたことも数多くありました。


理解してくれるのは決まって、「物理的に距離が遠かったりして、現実問題として私のサポートをするのが不可能な人」ばかり。

だから、

どんなときも1人で泣くしかありませんでした。

身近な相手であればあるほど、(表面とのギャップが大きすぎるため)まったく信じてもらえず、とりあってもらえず.......

そういう思いばかりが増長していきました。

みんなつらいのもわかってる。

私だけじゃなくみんなも苦しいのもわかってる。

でも、「私も」なんだよ。

みんなと同じように。

いくら「つらいのは自分だけじゃない」と自分自身に言い聞かせても、一向に治ることのない痛み。


あまりにも長い間、そんな思いと経験ばかりを重ねて生きてきたために。


こんな風に相手の方から「心配で」と連絡が来る、というのはにわかには信じがたい出来事でした。

だって、理解してくれている人ですら、「こちらが直接SOSを出してやっと」ですから。
(まぁ昨今の日本は得てしてそうなんでしょうが。友人関係がいまだに「濃い」中国や韓国だったりすると泣いていたら取り囲んで「どうしたどうした?」って可能な限りそばについてくれてたりするんですけどね......←実際に何度も何度も経験者)



「信じがたい」というより、「めずらしい」というよりも、私にとっては基本的に「ありえない」出来事です。

相手の方から「心配で電話した」なんていう行動が実際に起こるのは。

ダウンした直後にも、日記を読んだ遠方に住む旧知の武術仲間の方からもご心配いただいているメールをいただきましたが......

心底感謝すると同時に、「ああ、本当にめずらしくありえないことが起こってるなぁ、どうしたんだろう」という気持ちです。

誰からも放置されている状態に、奇しくも結果としてなってしまう......

それがこの20数年余り続いた、当たり前すぎる状態(苦笑)なのになぁ........と。



前ブログでの最終更新日  2007年12月06日 22時37分47秒
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