半年余り前から、日曜午後のクラスに通ってきているある小学生の女の子について、この日とても嬉しい変化にめぐり合いました。


ウチの教室は、圧倒的に成人の生徒が多いのが目下のところの現状。

彼女が入ってきたときも、小学生は彼女だけ、という状況でした。

周囲が大人ばかりで気後れしている部分や、指導者が自分しか見てくれないとイヤだ、という気持ちが練習時間の間じゅうバイブレーションや表情でビシビシ伝わってきます。

初めてやってきた場所で慣れない状態であれば、そういう気後れは大人でも当然に起こる心理状態ですし、「自分だけ見て欲しい自分だけ教えて欲しい」という気持ちにしても、子供だけのものでは決してありません。

ただ、彼女のその気持ちは平均的なそれに比べるとあまりにも強すぎるので、「これは何かあるな」と感じました。

単なる「違う年齢層と接触する経験が少ない」というところから来ているものではないな......と。

その辺のところを探りながら、“場”に少しずつなじませていこう...とは思っていたのですが、去年の終わりまでそれはなかなか思うようにいきませんでした。

異常なまでに大人を怖がる彼女を、「かわいそう」と甘やかす人が若干名出てきてしまったためです。

正直、世間一般でいうところの「平均的な環境で育った子供」というのは、デフォルトな状態では実は大人に対してかなり傍若無人な生き物だと思います。

自分自身の幼少時を振り返ってみてもそうですし(私は父親に数え切れないほど頭を殴られて育ちましたが^^;)、武術を通す通さないに関わらず、今まで接触してきた数多くの子供たちもやはり同様でした。

それらの経験や、人間自体に備わっているメンタリティなどをふまえて総合的に考えると、彼女の怖がり方は、子供のそれとしてはあまり平均的なものではありませんでした。

私が察したとおり、実は心がよりデリケートになってしまうような経験があったために、人見知りも手伝って怖がり方や「自分を見て」というバイブレーションが極めて強く出てしまっていたようです。


さて、問題は彼女の存在そのものではなく、「かわいそう」と同調して甘やかしてしまう若干名の大人でした。

休憩時間でもないのに練習時間中に勝手に彼女を連れて廊下に出て行ってしまう、とか

同調して一緒になって練習中に座り込んでしまう、とか

そういった行動が何度も繰り返されるようになりました。

期間限定で青少年会館のクラブの指導も1箇所受け持っていたので、「そこに入れたらどうですか」という、さまざまな事情を知らないが故の進言まで出る始末です。

この進言が出る少し前から、大阪市が青少年会館事業そのものを取りやめる方向でいること(つまり、青少年会館自体がなくなる、ということ)を報道でとっく に知っていた私は、そのような継続の可能性が期待できないかもしれないところに「最初から長期間継続的に練習する意思で入会してきた」生徒を入れるべきで はないと思いましたし、周囲の年齢層ではなくもっと違うところに原因があるはずなので、同年代のクラスに入れればそれで解決、ではないはずだとずっと感じ ていました。


今年の年明けから、その「甘やかしていた若干名」が練習に姿を見せなくなってしまったのを機に、私は自分が「この方法論ならば間違ってはいないはず」というやり方で接することにしました。

年が明ける前からも直接きちんと向き合って話していたことですが、

「自分1人だけに教えて欲しい」と思う気持ちは子供も大人も同じように持っていること、

大人だって怖いものは怖いし、初めての時にはビクビクして緊張するのはまったく同じだということ、

「○○だからできない」というのも、子供も大人もお互いに相手に対して同じように持っている感情だということ、

........などなど、などなど、などなど......

子供であるか大人であるかではなく、「人間」として共通している部分をきちんと根気良く伝え続けました。

もちろんその大前提として、「ここ(だーうーやん)にはいじめる人なんていない」ということと、「もしもいじめられたら、ちゃんと先生が叱ってあげるから(=間違っていないのであればちゃんと味方になることを約束)」ということも伝えたうえで、です。

こちらから伝えるだけではなく、「誰かにいじめられた?」「先生が理由もないのにわざと貴女を無視したことある?」などなど、きちんと確認もしながらです。

周囲の人は、理由もなく嫌ってなんていないよ、ということもいろいろな例も交えながら(私自身が父親によく拳骨で頭を殴られていたこともジョークっぽく混ぜて話してあげました←笑)、

時にヒアリングをきちんとおこない、時に伝え、時に諭し........

これを根気良く続けていくにしたがって、彼女の態度に少しずつ変化が表れていきました。

「仲良くなる魔法を教えてあげる☆」

などと付け加えながら、まず「自分から笑顔で挨拶してみてごらん。相手がちゃんと返してくれたらたいていは仲良くなれるはずだから」と教えたのも効いたのかもしれません。

そうやってとりあえず接してみる、という経験を数多く積まないと「初対面でその人とのフィーリングを見抜く勘」というのは養われないからです。

何より大事なのは、子供に対してだけではなく相手が大人であっても同じだと思うのですが、「味方がいる」という安心感がその背中を押すものでもあります。
「理不尽ないじめられ方をしたら、先生がきっと助けてくれる」という安心感を彼女がちゃんと持てるようになったためか、人見知りしながらも「大人を異常に怖がる」ということは目に見えて減っていきました。


そんな何ヶ月間があって、この日のこと。

彼女が、驚くようなセリフを口にしました。

「ずっと(武術を)続けようと思ってるけど------、Qingxiang先生や(周囲の大人)みんなが教えてくれたり助けてくれたから------、 だから、私が5年生とか6年生になって、そのときに1年生とか2年生の子が(ココに)入ってきたら、私が先輩として(みんなが自分にしてくれたみたいに) 教えてあげるねん」

......と。

彼女を甘やかしてしまう若干名がいたときは、その「甘やかし」が分厚い壁になり非常に困っていたのですが、それがとりあえず無くなって以降の私の導き方が間違っていなかったんだな、と安堵もしましたし、嬉しくもありました。

この日の練習でも、さすがにやっぱり自分自身を重点的に見て欲しいのかそれらしい表情はするのですが、それも「見てもらうために一生懸命練習する」という姿勢になりつつありました。とても嬉しい変化、とても嬉しい成長です。


あるコラムで「中世ヨーロッパの時代は、子供は「小さな大人」と呼ばれていた頃もある」と読んだことがあり、まさにそのとおりだと痛感した経験があるので 「子供だから」「大人だから」ときっちり分けてステレオタイプなケースに当てはめて捉えるのではなく、「その人間がどうなのか」を掴めるように意識してい ます。

その考え方にのっとった導き方が、今回のケースにおいては現時点では非常に効果を上げたということです。

その「人間」として捉える、ということを基本に、もっともっとこの「導き力」を高めていけるように心がけてやっていこうと思います。

 

 

前ブログでの最終更新日  2007年05月22日 22時56分16秒

前ブログURL(前ブログでは秘密日記として記録): http://plaza.rakuten.co.jp/dawuyan/diary/200704140000/