この20年以上ずっとずっと、日頃から常々おこなっていることがあります。

それは、「自らの思考を育てる」ということ。

自分の考え方は、今この瞬間に表れているそれが、どんなときも不変とは限りません。

年齢・環境・経験・学習などによって常に変化を繰り返しますし、そうでなければ「成長している」とは言えません。

人間は、ごく普通に何となく暮らしていても、少なくとも「生まれ落ちた時」よりはちょっとは成長しているはずですが、どうも私はそれでは満足できません。

自分が今暮らしているコミュニティの常識だけが真の基準ではないはずだ、と疑いつつあらゆる知識や経験を吸収して、自分の思考をバージョンアップしようとしてしまいます。

読書をするのもそのひとつです。
もちろん、ただ単に「本を読むのが大好きでしょうがない」という理由もあるのですが、状況が許せばいろいろなジャンルをまたいで読み漁ります。時には文字どおり「むさぼり読む」ほど。
そのせいで、この10年弱で読んださまざまなジャンルの本は軽く1,000冊を超えてしまいました。
本で得た知識だけがすべてではないけれど、読まなければ知らなかった知識や事実・経験そして考え方や思想は、さすがに1,000冊読むと、「たかが活字による疑似体験」ととうていバカにできないものになっています。
「本は心の糧」とはよく言ったものだと思います。



さまざまな年齢層・階層・国籍・ジャンル・コミュニティの人々と話をするのもまたひとつです。

人間というものは「環境と習慣で思想や行動パターンが形成される生き物」であるため、同じコミュニティや同じ意見の人間の中だけに浸っていると、「本来思 想の中心にするべき不変の真理」から自分の思想が離れていってしまい、同質人間が集まったコミュニティの中だけの常識を「不変の真理」と思い込んでしまう ことも少なくないのです。

好んで議論を持ちかける、とかそういう意味ではなく、年齢や国籍・ジャンルが違っても共通している不変の思いや考えとは?と考えたり、相手の言葉自分の言葉がそれぞれ「どういった論拠」から展開されているのかを探りつつ話をしていくのです。


真理と常識、客観と主観、利己と利他、経験の多寡.......などなど、これらのバランスがおかしくならないように、自分の思想・気持ちの持ち方を微調整しバージョンアップしようと努めています。

つい先だって(4月の第1週目の週末)に、全日本競技会を観戦するために名古屋を訪れたときもそうです。
他の団体のコーチや運営者の方々と「こういう方向性なら、こういう考え方で、でもこうしようと思うとここを割り切るより他ないんですよね」という、さまざまな視点からの意見を交換しあって学習に努めました。

「○○だから、××は悪い!ダメだ」などという短絡的なことでは決してなく、
「△△だと、□□で別にいいじゃんねぇ」とかそんないい加減なことでもなく。

最大限可能な限り真摯に、団体を維持継続させるために粛々と、おのれの思想を育て経験から学習しながら、努めていくのみです。

心も身体も腐敗してしまわないために、今までも今この瞬間もそしてこれからも死ぬまで、自分の思考を育て続けていかなければなりません。

「真の正論」というものをあらゆる意味で体得するために。

 

 

 

前ブログでの最終更新日  2007年04月23日 23時07分25秒

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