『2012/03/20(火) 人生初の入院<2>』にて、3月18日(日)には個室病室に移され、ヒゲ氏やR3氏がお見舞いに来てくれるときと、日本でいう看護助手さん?にあたる女性(英語がまったく話せない壮年のかたでした)が身体を洗いに来てくれた以外はずっと一人でいたわけですが......

 

R3氏が軽食用にミルクコーヒーとマリービスケットを持って来てくれた際に話したことは、「(大震災だの原発事故だのいろいろなことが起こって)日本から逃げたい人がたくさんいる。子供を守りたい親もいる。私は原発事故が起こるまで自分のことしか考えてなかったけど、あれを機会に「もういい年なんだからそれだけじゃなぁ」と考えるようになった。日本人の大人として同じ日本人の子供達の助けになれたらなぁ、と思ってここ(マンガロール)へ来たんだ。それが日本人の成人としての責任かな、と思ったんだ」といった内容のことでした。

R3氏に対しては、動画で311の津波の俯瞰をすでに見せており、「大変なことがあったんだよ」ということを伝えようとしていたつもりです。

 

そもそも、マンガロールへ来るにあたっては、ヒゲ氏が何ヶ月ものあいだ来る日も来る日も、在米NRIのS・A氏に対して日本人ビジネスコンサルタント・ラズロドグリダバ氏(プライバシー保護のためグロンギ語に音訳しています)を通し、メールを送り続け「何がしたいのか」「実現のためにどういう事業が必要か」「実現のためのアイデアや思想は」などと言ったことを送り、コンタクトをはかってきました。

それらの長期間にわたるコンタクトの下地があって、ヒゲ氏と私はマンガロールに着いた時点から出迎えに来てもらえたわけですが......(なぜ最初の数日間のあいだに、S・A氏との密なミーティングの場を誰も設けてくれなかったのか、という疑問は残るものの)。

 

R3氏は「日本人の大人として子供達を...」の私の言葉に対して、「ぼくも、S・Aからサポートするように言われたから、その責任は果たしたいと思ってる」と答えてくれました。

そうだよね、「責任」って大事だよね、と私も内心しみじみ。

 

ああ、早く退院しないとなぁ........とつくづく思うのでした。

病院からだとインターネット接続できないしさぁ、ラップトップもネット環境も持ってきてもらえてないし。(ネットの問題なのか?!)

 

(さらにまだ続きます)