どうにもならないほどに、心が追い詰められたときに、他の人たちは一体どうしているのだろうと、よく思うことがあります。
なぜなら、実際の私自身は、周囲の第三者が想像しているであろう「いつも元気、強い、ポジティブ」というイメージとは恐ろしく開きがあって「考えすぎ、超マイナス思考、自己嫌悪」のカタマリみたいな奴であるため、予想もしない形で限度を超えたののしりなどに遭遇してしまうと、数え切れないほど「死にたい」という経験を経てきたにも関わらず、どうにも「生きているのがつらい」感にいまだに襲われてしまうからです。
そんなことが、また起こりました。
この日からさかのぼること2日前、1月8日(月)のことです。
年末年始に中国へ武術合宿に行っており7日(日)に帰国した関東の友人にチャットに誘われ、この日は朝からパソコンの前でチャット......という状態に。
チャットをしつつ、「あ、そういえば洗濯しないと」と思い出したので、いつものように洗濯機のスイッチを入れて洗濯開始。
洗濯機が全自動なのを良いことに、他のことをし「ながら」、というのが習慣になっていますから、そのまんまチャットを再開したのです。
しかし、その日に限っては、それがいけませんでした。
部屋に洗濯パンが設置されれていないため、浴室の脇に洗濯機を置いて排水ホースを浴室に引き込む.....という方法で常々使用していたのですが、排水の水圧でホースが浴室から跳び出し、洗濯機を置いてある玄関側のフローリング室が水びたしになるという事態に.......。
実はこの事態、現在の部屋に引っ越してからこれで史上3度目(汗)。
現在の部屋で初めて洗濯機を使用したときと、確かそれから2年以内くらいにもう1回。
建物の構造的に、そういう場合の水はどうしても階下に漏れるようにできています。
水びたしになってジャブジャブになった自分自身だってもちろん大変ですが、「階下に漏れる量がちょっとでも少なくなるように!」とあわてて猛ダッシュで水処理を。
それでも漏れるものは漏れます(汗)。
マンションの管理事務所が開いている平日なら、管理事務所の人が飛んできて事態を確認し、事後処理をしてくれるはずですが、運悪くこの日は祝日で管理事務所は閉まった状態。
やってきたのは、階下の住人の知人らしき方2名。
案の定漏水してるのでえらいことになっているから見に来い、と階下に連れて行かれると、階下に住んでいるのはご高齢の方でした。
わざとでないとはいえ、過失とはいえ、そりゃ当然謝罪せねばいけないわけですから、ひたすら頭を下げ「すみません」という謝罪に使うには不完全な言葉で済ませるのも申し訳ないので、ひたすら「申し訳ありませんでした」と自分なりのせいいっぱいの誠意を込めて言うものの、極めて気分を悪くされた様子で「なに恨みあんのか知らんねんけどなぁ」と何度も何度も繰り返されます。
階下の住人がいったい誰なのか、ということ自体を把握していなかったので、恨みなんぞ当然あるはずもありません。
呼びに来た知人らしき方たちは「年寄り1人暮らしだから」すごく困るやろ、とやはり何度も口にします。
その方々に「電気屋と水道屋電話で呼んでよ!」と命じられ、管理事務所の入り口に貼ってある業者さんに電話をして事情を説明。
水道はこの場合無関係だからどうにもならんでしょ、と思ったらやっぱりそのとおりで業者さんにもそのように言われ......
とりあえず漏水した部屋の電灯部分が危険な状態になっていないか点検に来てもらうように、電気屋さんに電話でお願いをしたりなんぞして。
「いったん部屋に戻ってええで」と、その知人の方々に言われたので、部屋にもどってしばらく経ち。
夜になってから、電話で階下に呼び出されました。
少しでも漏れる量を少なくしようと、自分なりに猛ダッシュで水処理をして、何を思ったか「風で水分を飛ばそう!」と思い、暖冬とはいえ冬の寒いさなかに扇風機を「強」モードで回し続けていたのですが、階下ではやはり漏れ続けていたようで、3部屋あるうちの1部屋の天井から「ポタ、ポタ.....」と雨漏りのように水が滴り落ちてきます。
「洗面器ひとつしか無いねん!何か持って来い!」
「なに恨みあるか知らんねんけど、何でこんなことしてくれんねん!」
「ちゃんと畳拭け!弁償してもらうからな!」
間断なく、まさに「間断なく」という言葉の使用例そのままと言わんばかりに罵倒が続きます。
どうしようもなく腹が立っているのはよくわかります。
誰だって腹が立って当然です。
私自身、天井からの漏水に3日間悩まされて...それも大会で家を数日空けなければならない日の直前3日間ほどのできごとだったので、「困った」「不安」という日々を過ごしたことがあります。
ただ、私自身が被害者になったときは、誰かに当り散らすのは良くないと思っていたので、1人でひたすら不安な中を耐え続けました。
自分も漏水で困った経験があり、気持ちは理解できるので、当然「他人だから知らないもーん」なんて思えるはずもありません。
にしても。
言って良いことと悪いことがある。
そんな言葉が始終顔を出すくらいに罵倒はどんどんどんどん(×100)続きます。
「あんたいつここに引っ越してきてん?」
どうやら、「つい最近ここに引っ越してきたばかりやろ?どうせ、いい年してやっと初めての1人暮らしで漏水させたんやろ?」と一人合点した様子。
「1999年の1月29日です」と答えると、「最近」の日付じゃないことに不満?そうな反応。
洗濯機の下にブロックなどを高下駄状に置くことで、排水ホースが浴室から飛び出すのは防げるわけですが、不幸にして私はこれを知りませんでした。
「あんたの母親かて、こんな風にしてたやろ?!」
「....いいえ」
世間に人間は数多おりますが、たまにはそういう生活知識の一部が欠落していたり、取り入れていないまま生活を続けていく人というのも、世の中には往々にしてボチボチいるものだと私は感じているのですが、この階下の住人さんは、どうやら死んでもそんな風には考えようとしない方のように見えました。
『洗濯機を高下駄状のものの上に設置して漏水を防ぐ』
という、この生活知識をたまたま知らなかったことイコール「人間として救いようのないどうしようもない奴」と決め付けてくるのです。
「こんなことするあんたみたいな奴(“過失”で階下に洗濯排水を誤って漏水させてしまった私のこと)、どうせ親も友達も全員あんたと同じでどうしようもないろくでもない奴ばかりやろ?」
とバッサリ断言。
知人友人になるべく迷惑をかけたくないのでついつい頼みごとなどを遠慮して自分で何でも解決しようとしがちなことや、そんなしょうもない友人なんて居ないことを、泣きながら反論しても、聞こうとする気ゼロ......いえ....ゼロもといマイナス........(泣)。
彼女の中では、私という人間は
「自分の部屋に“わざと”水漏れを起こして、年寄りを困らせていじめようとした、いや、いじめた最低の極悪人」になってしまっているのです。
「こんな性根の悪いことをする奴の親なんだから、ろくでもないに決まってる」
「友達だって1人残らずろくでもない奴に決まってる」
「洗濯機の置き方ひとつも知らないろくでなしだから、友達だっていろいろ手伝いに来てくれたりしないんだ」
要約するとこのような言われようが、果てしなく間断なく続きます。
ものすごい怒りのバイブレーションです。
私とこの方では世代が違うから仕方が無い、という部分ももちろんあります。
「迷惑をかけたくないから、友達に頼みごとがしにくい」
...と気軽に友人知人に電話できない人間が若年層に増えていることなど、たぶんこの階下の住人さんは存じていないのかもしれません。
それにしたって、私の中では「たまたま洗濯機の賢い設置の仕方を知らなかったこと=性根の腐った、親も友人も全員腐った奴ばかりの最低な人間」という図式が納得いきません。
生活知識自体を完璧に網羅していたとしても、性分の悪い人は世の中にきっといるだろうし、何故「たまたま洗濯機の賢い設置の仕方を知らなかったこと=性根の腐った、親も友人も全員腐った奴ばかりの最低な人間」になるのやら、どうにもこうにも理解ができません。
自分が正しいかどうか、常にいろいろな経験や知識・事象に照らし合わせて考える癖がついているため、脳内コンピュータを懸命に働かせるのですが、それでもやっぱりどうしても「たまたま洗濯機の賢い設置の仕方を知らなかったこと=性根の腐った、親も友人も全員腐った奴ばかりの最低な人間」という図式はどうしても正しいとは思えません。
放っておくといつ終わるのか予想もつかない罵倒は、軽く1時間半にも及びました。
その間にも階下の住人さんは2回ほど、最初に私を呼びにきた知人の方に電話をかけ、そこにまで私への罵倒を際限なく漏らしていました。
それを耳にすると、こっちの言うことを言ったとおりの意味できちんと聞こうとしておらず「自分が解釈したいようにしか話を聞いていない」というのが容易に読み取れました。
「離婚した友人が、「実家に入りきらんからあげるよ~」ってくれた洗濯機」
と説明したにも関わらず、私自身が「離婚した」とその電話で吹聴したりする始末。
被害妄想で直接相手を罵倒するのであれば致し方ない部分もありますが、「他人の話の無いようを自分の解釈したいように捻じ曲げて、そのうえ第三者にまでその歪曲した事象を吹聴する」というのはさすがに耐えられず、
「離婚したのは私じゃないですっ!」
と、ずっと泣き続けていた目からさらに涙が勝手にあふれ出て、大声を出してしまいました。
歪曲された事実を、しゃくりあげながら必死で訂正し......
そうしていると、どうやら電話の向こうの知人の方が、その住人さんに「代わって」と言ったらしく、電話機を渡されました。
電話に出ると、
「災難やったな~~~!」
という声。
同情してくれたのです。
いくら過失で漏水を引き起こしたからといって、あんまりにも言いすぎだろうと、その方も思ってくれていたようです。ただ、
「年寄りだから、言うことしつこいねん。堪忍したってや」
とも言われました。
人間は高齢になると、「幼児化という退行現象を起こす」というのは知ってはいましたが、なるほどそのとおりです。
非常に極端なサンプルを見せ付けられたわけですから。
で。
その知人の方がいさめてくれたらしく、住人本人さんも
「もう帰ってええで(-_-)フン」
と言ってはくれましたが.......
実はこの日1日、「もしまた階下から呼び出されたらすぐに飛んで行ける」ようにと、私はまったく食事も取らずに自室で待機していたのです。
「申し訳ない」と思う気持ちが半端じゃなく大量にあったからです。
食べていない上に、身体も冷え切っていて、再度階下に呼ばれたときも、寒さで手も足もガチガチに震えながら畳を拭いたのです。
自分の文句をぶつけたいだけぶつけないと気がすまないのか、私が震えてるのを見ても罵倒し続ける......という、そんな状態が結局1時間以上も続いたのでした。
過失とはいえ、「申し訳ない」という気持ちが無いはずはありません。
あるからこそ、自分の過失をちゃんと認めて下りていったのですから。
もし「申し訳ないなんて思っていない」のであれば、最初から自分の過失を認めずに「知らぬ存ぜぬ」を決め込むのが人間でしょう。
でも、怖いけれども正直に自分の過失を認め、一生懸命に自分なりの謝罪をしたのです。
その気持ちすらも、
「ここは近くに何でもあんねんから、買ってきて食べたらええやん!」
「もし食べてる途中に呼ばれたら、それ置いて駆けつけたらええやん!」
とひたすらに一蹴されていたのです。
前ブログでの最終更新日 2007年02月13日 01時32分15秒
なぜなら、実際の私自身は、周囲の第三者が想像しているであろう「いつも元気、強い、ポジティブ」というイメージとは恐ろしく開きがあって「考えすぎ、超マイナス思考、自己嫌悪」のカタマリみたいな奴であるため、予想もしない形で限度を超えたののしりなどに遭遇してしまうと、数え切れないほど「死にたい」という経験を経てきたにも関わらず、どうにも「生きているのがつらい」感にいまだに襲われてしまうからです。
そんなことが、また起こりました。
この日からさかのぼること2日前、1月8日(月)のことです。
年末年始に中国へ武術合宿に行っており7日(日)に帰国した関東の友人にチャットに誘われ、この日は朝からパソコンの前でチャット......という状態に。
チャットをしつつ、「あ、そういえば洗濯しないと」と思い出したので、いつものように洗濯機のスイッチを入れて洗濯開始。
洗濯機が全自動なのを良いことに、他のことをし「ながら」、というのが習慣になっていますから、そのまんまチャットを再開したのです。
しかし、その日に限っては、それがいけませんでした。
部屋に洗濯パンが設置されれていないため、浴室の脇に洗濯機を置いて排水ホースを浴室に引き込む.....という方法で常々使用していたのですが、排水の水圧でホースが浴室から跳び出し、洗濯機を置いてある玄関側のフローリング室が水びたしになるという事態に.......。
実はこの事態、現在の部屋に引っ越してからこれで史上3度目(汗)。
現在の部屋で初めて洗濯機を使用したときと、確かそれから2年以内くらいにもう1回。
建物の構造的に、そういう場合の水はどうしても階下に漏れるようにできています。
水びたしになってジャブジャブになった自分自身だってもちろん大変ですが、「階下に漏れる量がちょっとでも少なくなるように!」とあわてて猛ダッシュで水処理を。
それでも漏れるものは漏れます(汗)。
マンションの管理事務所が開いている平日なら、管理事務所の人が飛んできて事態を確認し、事後処理をしてくれるはずですが、運悪くこの日は祝日で管理事務所は閉まった状態。
やってきたのは、階下の住人の知人らしき方2名。
案の定漏水してるのでえらいことになっているから見に来い、と階下に連れて行かれると、階下に住んでいるのはご高齢の方でした。
わざとでないとはいえ、過失とはいえ、そりゃ当然謝罪せねばいけないわけですから、ひたすら頭を下げ「すみません」という謝罪に使うには不完全な言葉で済ませるのも申し訳ないので、ひたすら「申し訳ありませんでした」と自分なりのせいいっぱいの誠意を込めて言うものの、極めて気分を悪くされた様子で「なに恨みあんのか知らんねんけどなぁ」と何度も何度も繰り返されます。
階下の住人がいったい誰なのか、ということ自体を把握していなかったので、恨みなんぞ当然あるはずもありません。
呼びに来た知人らしき方たちは「年寄り1人暮らしだから」すごく困るやろ、とやはり何度も口にします。
その方々に「電気屋と水道屋電話で呼んでよ!」と命じられ、管理事務所の入り口に貼ってある業者さんに電話をして事情を説明。
水道はこの場合無関係だからどうにもならんでしょ、と思ったらやっぱりそのとおりで業者さんにもそのように言われ......
とりあえず漏水した部屋の電灯部分が危険な状態になっていないか点検に来てもらうように、電気屋さんに電話でお願いをしたりなんぞして。
「いったん部屋に戻ってええで」と、その知人の方々に言われたので、部屋にもどってしばらく経ち。
夜になってから、電話で階下に呼び出されました。
少しでも漏れる量を少なくしようと、自分なりに猛ダッシュで水処理をして、何を思ったか「風で水分を飛ばそう!」と思い、暖冬とはいえ冬の寒いさなかに扇風機を「強」モードで回し続けていたのですが、階下ではやはり漏れ続けていたようで、3部屋あるうちの1部屋の天井から「ポタ、ポタ.....」と雨漏りのように水が滴り落ちてきます。
「洗面器ひとつしか無いねん!何か持って来い!」
「なに恨みあるか知らんねんけど、何でこんなことしてくれんねん!」
「ちゃんと畳拭け!弁償してもらうからな!」
間断なく、まさに「間断なく」という言葉の使用例そのままと言わんばかりに罵倒が続きます。
どうしようもなく腹が立っているのはよくわかります。
誰だって腹が立って当然です。
私自身、天井からの漏水に3日間悩まされて...それも大会で家を数日空けなければならない日の直前3日間ほどのできごとだったので、「困った」「不安」という日々を過ごしたことがあります。
ただ、私自身が被害者になったときは、誰かに当り散らすのは良くないと思っていたので、1人でひたすら不安な中を耐え続けました。
自分も漏水で困った経験があり、気持ちは理解できるので、当然「他人だから知らないもーん」なんて思えるはずもありません。
にしても。
言って良いことと悪いことがある。
そんな言葉が始終顔を出すくらいに罵倒はどんどんどんどん(×100)続きます。
「あんたいつここに引っ越してきてん?」
どうやら、「つい最近ここに引っ越してきたばかりやろ?どうせ、いい年してやっと初めての1人暮らしで漏水させたんやろ?」と一人合点した様子。
「1999年の1月29日です」と答えると、「最近」の日付じゃないことに不満?そうな反応。
洗濯機の下にブロックなどを高下駄状に置くことで、排水ホースが浴室から飛び出すのは防げるわけですが、不幸にして私はこれを知りませんでした。
「あんたの母親かて、こんな風にしてたやろ?!」
「....いいえ」
世間に人間は数多おりますが、たまにはそういう生活知識の一部が欠落していたり、取り入れていないまま生活を続けていく人というのも、世の中には往々にしてボチボチいるものだと私は感じているのですが、この階下の住人さんは、どうやら死んでもそんな風には考えようとしない方のように見えました。
『洗濯機を高下駄状のものの上に設置して漏水を防ぐ』
という、この生活知識をたまたま知らなかったことイコール「人間として救いようのないどうしようもない奴」と決め付けてくるのです。
「こんなことするあんたみたいな奴(“過失”で階下に洗濯排水を誤って漏水させてしまった私のこと)、どうせ親も友達も全員あんたと同じでどうしようもないろくでもない奴ばかりやろ?」
とバッサリ断言。
知人友人になるべく迷惑をかけたくないのでついつい頼みごとなどを遠慮して自分で何でも解決しようとしがちなことや、そんなしょうもない友人なんて居ないことを、泣きながら反論しても、聞こうとする気ゼロ......いえ....ゼロもといマイナス........(泣)。
彼女の中では、私という人間は
「自分の部屋に“わざと”水漏れを起こして、年寄りを困らせていじめようとした、いや、いじめた最低の極悪人」になってしまっているのです。
「こんな性根の悪いことをする奴の親なんだから、ろくでもないに決まってる」
「友達だって1人残らずろくでもない奴に決まってる」
「洗濯機の置き方ひとつも知らないろくでなしだから、友達だっていろいろ手伝いに来てくれたりしないんだ」
要約するとこのような言われようが、果てしなく間断なく続きます。
ものすごい怒りのバイブレーションです。
私とこの方では世代が違うから仕方が無い、という部分ももちろんあります。
「迷惑をかけたくないから、友達に頼みごとがしにくい」
...と気軽に友人知人に電話できない人間が若年層に増えていることなど、たぶんこの階下の住人さんは存じていないのかもしれません。
それにしたって、私の中では「たまたま洗濯機の賢い設置の仕方を知らなかったこと=性根の腐った、親も友人も全員腐った奴ばかりの最低な人間」という図式が納得いきません。
生活知識自体を完璧に網羅していたとしても、性分の悪い人は世の中にきっといるだろうし、何故「たまたま洗濯機の賢い設置の仕方を知らなかったこと=性根の腐った、親も友人も全員腐った奴ばかりの最低な人間」になるのやら、どうにもこうにも理解ができません。
自分が正しいかどうか、常にいろいろな経験や知識・事象に照らし合わせて考える癖がついているため、脳内コンピュータを懸命に働かせるのですが、それでもやっぱりどうしても「たまたま洗濯機の賢い設置の仕方を知らなかったこと=性根の腐った、親も友人も全員腐った奴ばかりの最低な人間」という図式はどうしても正しいとは思えません。
放っておくといつ終わるのか予想もつかない罵倒は、軽く1時間半にも及びました。
その間にも階下の住人さんは2回ほど、最初に私を呼びにきた知人の方に電話をかけ、そこにまで私への罵倒を際限なく漏らしていました。
それを耳にすると、こっちの言うことを言ったとおりの意味できちんと聞こうとしておらず「自分が解釈したいようにしか話を聞いていない」というのが容易に読み取れました。
「離婚した友人が、「実家に入りきらんからあげるよ~」ってくれた洗濯機」
と説明したにも関わらず、私自身が「離婚した」とその電話で吹聴したりする始末。
被害妄想で直接相手を罵倒するのであれば致し方ない部分もありますが、「他人の話の無いようを自分の解釈したいように捻じ曲げて、そのうえ第三者にまでその歪曲した事象を吹聴する」というのはさすがに耐えられず、
「離婚したのは私じゃないですっ!」
と、ずっと泣き続けていた目からさらに涙が勝手にあふれ出て、大声を出してしまいました。
歪曲された事実を、しゃくりあげながら必死で訂正し......
そうしていると、どうやら電話の向こうの知人の方が、その住人さんに「代わって」と言ったらしく、電話機を渡されました。
電話に出ると、
「災難やったな~~~!」
という声。
同情してくれたのです。
いくら過失で漏水を引き起こしたからといって、あんまりにも言いすぎだろうと、その方も思ってくれていたようです。ただ、
「年寄りだから、言うことしつこいねん。堪忍したってや」
とも言われました。
人間は高齢になると、「幼児化という退行現象を起こす」というのは知ってはいましたが、なるほどそのとおりです。
非常に極端なサンプルを見せ付けられたわけですから。
で。
その知人の方がいさめてくれたらしく、住人本人さんも
「もう帰ってええで(-_-)フン」
と言ってはくれましたが.......
実はこの日1日、「もしまた階下から呼び出されたらすぐに飛んで行ける」ようにと、私はまったく食事も取らずに自室で待機していたのです。
「申し訳ない」と思う気持ちが半端じゃなく大量にあったからです。
食べていない上に、身体も冷え切っていて、再度階下に呼ばれたときも、寒さで手も足もガチガチに震えながら畳を拭いたのです。
自分の文句をぶつけたいだけぶつけないと気がすまないのか、私が震えてるのを見ても罵倒し続ける......という、そんな状態が結局1時間以上も続いたのでした。
過失とはいえ、「申し訳ない」という気持ちが無いはずはありません。
あるからこそ、自分の過失をちゃんと認めて下りていったのですから。
もし「申し訳ないなんて思っていない」のであれば、最初から自分の過失を認めずに「知らぬ存ぜぬ」を決め込むのが人間でしょう。
でも、怖いけれども正直に自分の過失を認め、一生懸命に自分なりの謝罪をしたのです。
その気持ちすらも、
「ここは近くに何でもあんねんから、買ってきて食べたらええやん!」
「もし食べてる途中に呼ばれたら、それ置いて駆けつけたらええやん!」
とひたすらに一蹴されていたのです。
前ブログでの最終更新日 2007年02月13日 01時32分15秒