この日の『ワールドビジネスサテライト』にて、今般新しく開学する「サイバー大学」について紹介がされていました。

他のニュースなどでも、この「サイバー大学」なるものができる、ということは見聞きしておりましたので、「あーこれかー」とぼんやり視ていたわけですが。

サイバー大学のみならず、他にも新しい大学が新規に若干校開学する、ということで「なぜ少子化で定員割れが起ころうとする今、大学を新しく造ったりするんだ」という声も少なくありません。

確かに、大学という空間が「高卒を現役で卒業、もしくはちょっと浪人してしまった人達など、すなわち新卒の人達のため“だけ”に学ぶ場を与えるもの」であるならば、「なぜ少子化で定員割れが起ころうとする今、大学を新しく造ったりするんだ」という声は、きわめて的確なものであり多数派意見で支持されるべきでしょう。

しかし、日本以外の他の国々に目を転じてみると、「大学とは本来、学びたいすべての者に門戸を開くべき場」であることが見えてきます。
特にその例はアメリカなどに顕著で、アメリカのスポーツ大学のオンライン課程でコーチングやスポーツ科学を学びたいと思っている私にとっては、アメリカが日本と比較して「教育」という点においてさまざまな面で日本よりも優れた面を持ち合わせていることを、調べれば調べるほど思い知らされます。

その上で。

大学という空間が「高卒を現役で卒業、もしくはちょっと浪人してしまった人達など、すなわち新卒の人達のため“だけ”に学ぶ場を与えるもの」という狭義の解釈だけで「なぜ少子化で定員割れが起ころうとする今、大学を新しく造ったりするんだ」と感じてしまう日本は、悲しいけれどやはり「教育後進国」なのだなぁ...と思い知らされるのです。

働くという点において「生涯現役」が謳われることは、時折目に耳にしますが、それは学問に於いても同じことで、「学び」も「生涯現役」なのだ、ということがもっと深く理解されれば、日本の大学は今よりもさらに豊かになっていくのではないのかなぁ?

...と、個人的には感じる次第です。




前ブログでの最終更新日 2006年12月28日 20時38分05秒