世間の皆様は連休中のこの日。
大阪市内では、『第5回近畿ジュニア武術太極拳大会』が開催されました。
近畿2府4県のジュニア選手達が日頃の成果を競い合う大会です。
思えば、この大会の第1回目が行われた2002年11月1日が、私がこの大阪武術文化研究会を立ち上げようと思い立った日でした。
当時、2000年のはじめから絶え間なくずっと生活のすべての場面で精神的に追い詰められ続け、どれだけ努力をしてもどれだけ耐えても一向にひとすじの光すら射さない状態が続き、その状態から何とかして脱するためには、もう独立して自分で活動をするより他ない!という選択を、この日くだしたのです。
いえ、もっと正確に言うと「独立より他に道は無い」という声が下りてきた、と言うべきでしょう。
自分に起こることのみならず他者のことに関しても、ほんとうに「ときどき」の出来事なのですが、「勘が必ず当たる、というより一度も外れたことがない」ということが実は起こっておりまして、精神的に破綻寸前まで落ち込んでいる時期は、必ず右のこめかみのところで何かが「バチッ」とはじけるような衝撃が来ていました。
この日のその決断も、それまでに思考で色々とこねくりまわして考えていたわけではなく、涙をこらえることがどうしてもできずボロボロと涙が流れるにまかせていたときに、突然「下りて」きたのです。
そう、前述したのと同じ、その「衝撃」として。
自分の身に起こることのみが当たっていたのであれば、ただの“思い込み”と私自身も片付けていたのですが、それまでに当たっていたことは私自身とは関わりのないところで起こる出来事も当然いくつかあり、「ただの一度も外れたことがない」ために、不安にさいなまれながらもその声を信じるしかなかったのです。
思い通りにならない状況にただ不満だけを唱え、泣いていたって駄目なのかもしれない。
ならば、「自分の居場所は自分で作る」ことに力を注がねばならないのではないだろうか。
死ぬまで離れたくない、「武術と“添い遂げ”たい」と思う自らと中国武術との関わり方を、今後の人生も含めて考えていったとき、「独立は必然」なのだと感じるように、その後はなっていきました。
いえ、これも「感じるようになっていった」という言葉はどうも適切ではありません(苦笑)。
なぜなら、自らの思考や感情で能動的に「感じるようになっていった」わけではなく、いろいろな活動を通して「望んでもいないのに無理矢理思い知らされる」ことが何度もあったからです。
「導かれて、そうなったのだ」
そうとしか言えないのだな、と。
今までだけでなく、きっとこれからも幾度となく、そんな風に「思い知らされる」のかもしれません。
さて。
とんでもなく長い前置きはさておいて(苦笑)、ちょっと(?)寝不足ながら朝から会場である体育館へと赴きました。

のんびり座って視るモードじゃなくって、完全に「撮影!」態勢のような状態なので、友人までつき合わせてずっと立たせちゃってました。その節はごめんなさいでしたのだm(_ _)m
お昼休み以外ほとんど立ち通しで(笑)1日の競技が終わり、無事に表彰式(↓)を見届け、次の目的地へと赴くべく体育館をあとにしたのでありますが......

途中挨拶に来てくれた女子南拳運動員のお2人さんありがとうね☆
わざわざ挨拶に来てくれたことに、本当に感謝するばかりです。
多謝、多謝!!!
前ブログでの最終更新日 2006年12月08日 21時50分18秒
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大阪市内では、『第5回近畿ジュニア武術太極拳大会』が開催されました。
近畿2府4県のジュニア選手達が日頃の成果を競い合う大会です。
思えば、この大会の第1回目が行われた2002年11月1日が、私がこの大阪武術文化研究会を立ち上げようと思い立った日でした。
当時、2000年のはじめから絶え間なくずっと生活のすべての場面で精神的に追い詰められ続け、どれだけ努力をしてもどれだけ耐えても一向にひとすじの光すら射さない状態が続き、その状態から何とかして脱するためには、もう独立して自分で活動をするより他ない!という選択を、この日くだしたのです。
いえ、もっと正確に言うと「独立より他に道は無い」という声が下りてきた、と言うべきでしょう。
自分に起こることのみならず他者のことに関しても、ほんとうに「ときどき」の出来事なのですが、「勘が必ず当たる、というより一度も外れたことがない」ということが実は起こっておりまして、精神的に破綻寸前まで落ち込んでいる時期は、必ず右のこめかみのところで何かが「バチッ」とはじけるような衝撃が来ていました。
この日のその決断も、それまでに思考で色々とこねくりまわして考えていたわけではなく、涙をこらえることがどうしてもできずボロボロと涙が流れるにまかせていたときに、突然「下りて」きたのです。
そう、前述したのと同じ、その「衝撃」として。
自分の身に起こることのみが当たっていたのであれば、ただの“思い込み”と私自身も片付けていたのですが、それまでに当たっていたことは私自身とは関わりのないところで起こる出来事も当然いくつかあり、「ただの一度も外れたことがない」ために、不安にさいなまれながらもその声を信じるしかなかったのです。
思い通りにならない状況にただ不満だけを唱え、泣いていたって駄目なのかもしれない。
ならば、「自分の居場所は自分で作る」ことに力を注がねばならないのではないだろうか。
死ぬまで離れたくない、「武術と“添い遂げ”たい」と思う自らと中国武術との関わり方を、今後の人生も含めて考えていったとき、「独立は必然」なのだと感じるように、その後はなっていきました。
いえ、これも「感じるようになっていった」という言葉はどうも適切ではありません(苦笑)。
なぜなら、自らの思考や感情で能動的に「感じるようになっていった」わけではなく、いろいろな活動を通して「望んでもいないのに無理矢理思い知らされる」ことが何度もあったからです。
「導かれて、そうなったのだ」
そうとしか言えないのだな、と。
今までだけでなく、きっとこれからも幾度となく、そんな風に「思い知らされる」のかもしれません。
さて。
とんでもなく長い前置きはさておいて(苦笑)、ちょっと(?)寝不足ながら朝から会場である体育館へと赴きました。

のんびり座って視るモードじゃなくって、完全に「撮影!」態勢のような状態なので、友人までつき合わせてずっと立たせちゃってました。その節はごめんなさいでしたのだm(_ _)m
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途中挨拶に来てくれた女子南拳運動員のお2人さんありがとうね☆
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