昨夜(5日)の夜、TOKIOがパーソナリティをつとめた特番がありました。テーマは『1万円でなにができるか?』というもの。日本国内に限っていえば、1万円は1万円でしかありませんが、日本の外にまで視野を広げてみると、1万円がさまざまな顔を見せることに気がつかされるのですね。近年、アジア諸国へ武術の国際大会を観戦するべく貧乏旅行をしている私は、この貨幣価値の違いを身をもって体験しているので、それらの感覚を思い出しながら番組を観ていました。
“住まう”こと、“食べる”こと、“移動する”こと、近現代の人間社会においては、お金がなければこれらを享受することは基本的に不可能と断言しても過言ではないと思います。そして、最後に紹介された『1万円』の姿は、カンボジアの児童施設で暮らすHIV感染の子供たちを通してのもの。母子感染により、生まれながらにしてHIVキャリアである子供たちの日々の命は、日本円にして700円の薬によってまかなわれているそうです。19人分の薬が700円。経済格差といってしまえばそれまでかもしれませんが、現地を実際に訪問した長瀬智也クンは考えこんでましたね。「答えなんてみつからない」「お金で命が買えるなんて・・・」と困惑しながら。日本人はつい「お金なんて・・・」と言ってしまいがちですが、そこに日本社会の生き易さ(甘さ??)が反映されている気がしました。“お金がなければ生きていけない度”があまり高くないから、拝金主義を批判するスタンスで生きていける、それってすごく恵まれてるんだよなぁ・・・と感じるのです。アメリカや香港、そして目下発展中の中国などは貧富の格差が激しいので、お金がないイコール生活できない!に直結してもおかしくないんじゃないかと感じます。そういう事実を知識としてとはいえ知ってしまうと何だか「お金なんて」というセリフを最近口にできなくなってしまいました。訳あって、「愛や綺麗事のためにまっとうなやり方でお金を頑張って稼ぐねん!」という考え方に変わってきてもいます。お金のために綺麗事や正義感をかなぐり捨ててしまうのには反対ですが、逆ならば許されて良い部分もあるのでは?と。
だって、世の中にはお金がないと成就できない綺麗事や愛だってあるのですから。たとえば、お金がないと大切な人に会えない人がたくさんたくさんいるのですから。
“住まう”こと、“食べる”こと、“移動する”こと、近現代の人間社会においては、お金がなければこれらを享受することは基本的に不可能と断言しても過言ではないと思います。そして、最後に紹介された『1万円』の姿は、カンボジアの児童施設で暮らすHIV感染の子供たちを通してのもの。母子感染により、生まれながらにしてHIVキャリアである子供たちの日々の命は、日本円にして700円の薬によってまかなわれているそうです。19人分の薬が700円。経済格差といってしまえばそれまでかもしれませんが、現地を実際に訪問した長瀬智也クンは考えこんでましたね。「答えなんてみつからない」「お金で命が買えるなんて・・・」と困惑しながら。日本人はつい「お金なんて・・・」と言ってしまいがちですが、そこに日本社会の生き易さ(甘さ??)が反映されている気がしました。“お金がなければ生きていけない度”があまり高くないから、拝金主義を批判するスタンスで生きていける、それってすごく恵まれてるんだよなぁ・・・と感じるのです。アメリカや香港、そして目下発展中の中国などは貧富の格差が激しいので、お金がないイコール生活できない!に直結してもおかしくないんじゃないかと感じます。そういう事実を知識としてとはいえ知ってしまうと何だか「お金なんて」というセリフを最近口にできなくなってしまいました。訳あって、「愛や綺麗事のためにまっとうなやり方でお金を頑張って稼ぐねん!」という考え方に変わってきてもいます。お金のために綺麗事や正義感をかなぐり捨ててしまうのには反対ですが、逆ならば許されて良い部分もあるのでは?と。
だって、世の中にはお金がないと成就できない綺麗事や愛だってあるのですから。たとえば、お金がないと大切な人に会えない人がたくさんたくさんいるのですから。