7月12日(日)の深夜に高速バスに乗り、翌朝大阪に戻りそのまま出勤、ヘロヘロ寝不足困憊のまま1週間を過ごし迎えた週末。
この日のシンケンジャーは、シンケングリーン=谷千明の父親がゲストで登場の回。
(公式サイトより第二十一幕「親子熊」紹介ページ
http://www.toei.co.jp/tv/shinken/story/1189020_1569.html)
パイロット版後編の第二幕劇中にて、流ノ介に「いいかげんな父親らしいな」と自分が受けた侍教育のなってなさを指摘され、「当たってるだけに腹立つんですけど!」と食ってかかっていた千明。
その千明の父親・谷蔵人は......というと、なるほど一見するとチャラチャラのアラフォー男。
第一印象だけでうっかり判断してしまうと、「侍なんてとんでもないダメ男」と誤解してしまいがち。
しかし、侍の父はやはり侍。
千明とピンク=茉子が見逃していた部分を察知もするし、周囲が傷を負わないようにとたわけたフリをして自らが傷を負ったりもする。
父親が足を引っ張ったと憤慨しながら、アヤカシの術により操られた男性が立てこもったファミレスに乗り込み、事を鎮めた千明が眼にしたものは、父親の「まごうことなき侍の姿」でした。
千明と茉子の活躍で、操られていた男性も術から解放し、他の客達も開放し、一件落着......かと思いきや、突如蔵人に襲い掛かるナナシ連中。
次の瞬間、すでに切り捨てられ絶命したナナシの刀を手に取ると、襲いくるナナシ連中を次々と斬り捨てていく蔵人。
千明は言葉を失います。
子供の頃からずっと見ていた父の剣。
でも、その強さは見えていなかった。
シンケンジャー結集によってみずからの未熟さを痛いほど思い知らされ、侍として成長するために努力してきた千明の目には、
「成長して初めて見えるものがある。成長しなければ見えないもの、理解できないものがある」
ことが、親元を離れシンケンジャーになってから改めて目の当たりにした父の剣の強さによってありありと焼き付けられたのです。
そう。
我々人間は、残念ながら自分が現時点で持っている知識や経験以上のことを理解することはできないように構成されています。
足し算しかできない人は、足し算よりも難しいことは理解できません。
日本語しか話せない人は、英語や中国語の世界を体感で理解できません。
水中に一度も入ったことがない人は、水中の無重力感を体感で理解できません。
その道理を、父親の剣の強さを見て取れるようになったことによって理解できた千明は茉子に言います。
「強くなると、もっと強いものが見えるんだな」
と。
“成長しなければ見えないものがある。高みに到達したければ、成長を目指すより他にはない”
ということが、この回での靖子にゃん(脚本小林靖子)のメッセージなのではないかと感じました。
戦隊シリーズではほぼ毎回おなじみの、「メンバーの家族が登場し、家族の絆を再認識」というエピソードですが、そこに千明をメインとして配置することで、単なる絆のお話に終わることなく、
「現実生活で生きていると、ついつい成長することをあきらめてしまったり投げ出してしまったり、成長しなくてもいいや、と慢心してしまいがちだけれど、常に成長したいという思いを心にしっかりと据えて生きなさい」
と靖子にゃんに喝を入れられた気がしました。
既出のエピソードに出てきた台詞やモチーフをしっかりと拾い上げて、秀逸なエピソードにきちんと仕立ててしまうところも併せて、
さすが靖子にゃん!!です。
「成長しなければ見えないもの。体験しなければ理解できないもの」
これが真理として厳然と存在しているが故に、私は自分が中国武術に関わっていても、そのほかの武道や格闘技については「わからないんですごめんなさい」と言うようにしています。
中国武術以外の武道や格闘技の中身云々について、経験してもいないのにむやみにアレコレ言う権利は自分には無いと思っているからです。
自分がもともとそう思っていたことを、改めて「そう。自分が実際に体験して成長していかなければ理解などできるはずがないのだからね」と、この「親子熊」のエピソードで念押しされた気がしました。
靖子にゃんの作劇力・ストーリーテリング力に万歳!って感じです。
※旧ログ「Qingxiangの日々的話話は」コチラ↓
http://plaza.rakuten.co.jp/dawuyan/
侍!
子供が大好き
映像特典の内容
1話目のオープニングでやられました。
天下御免の侍戦隊!
この日のシンケンジャーは、シンケングリーン=谷千明の父親がゲストで登場の回。
(公式サイトより第二十一幕「親子熊」紹介ページ
http://www.toei.co.jp/tv/shinken/story/1189020_1569.html)
パイロット版後編の第二幕劇中にて、流ノ介に「いいかげんな父親らしいな」と自分が受けた侍教育のなってなさを指摘され、「当たってるだけに腹立つんですけど!」と食ってかかっていた千明。
その千明の父親・谷蔵人は......というと、なるほど一見するとチャラチャラのアラフォー男。
第一印象だけでうっかり判断してしまうと、「侍なんてとんでもないダメ男」と誤解してしまいがち。
しかし、侍の父はやはり侍。
千明とピンク=茉子が見逃していた部分を察知もするし、周囲が傷を負わないようにとたわけたフリをして自らが傷を負ったりもする。
父親が足を引っ張ったと憤慨しながら、アヤカシの術により操られた男性が立てこもったファミレスに乗り込み、事を鎮めた千明が眼にしたものは、父親の「まごうことなき侍の姿」でした。
千明と茉子の活躍で、操られていた男性も術から解放し、他の客達も開放し、一件落着......かと思いきや、突如蔵人に襲い掛かるナナシ連中。
次の瞬間、すでに切り捨てられ絶命したナナシの刀を手に取ると、襲いくるナナシ連中を次々と斬り捨てていく蔵人。
千明は言葉を失います。
子供の頃からずっと見ていた父の剣。
でも、その強さは見えていなかった。
シンケンジャー結集によってみずからの未熟さを痛いほど思い知らされ、侍として成長するために努力してきた千明の目には、
「成長して初めて見えるものがある。成長しなければ見えないもの、理解できないものがある」
ことが、親元を離れシンケンジャーになってから改めて目の当たりにした父の剣の強さによってありありと焼き付けられたのです。
そう。
我々人間は、残念ながら自分が現時点で持っている知識や経験以上のことを理解することはできないように構成されています。
足し算しかできない人は、足し算よりも難しいことは理解できません。
日本語しか話せない人は、英語や中国語の世界を体感で理解できません。
水中に一度も入ったことがない人は、水中の無重力感を体感で理解できません。
その道理を、父親の剣の強さを見て取れるようになったことによって理解できた千明は茉子に言います。
「強くなると、もっと強いものが見えるんだな」
と。
“成長しなければ見えないものがある。高みに到達したければ、成長を目指すより他にはない”
ということが、この回での靖子にゃん(脚本小林靖子)のメッセージなのではないかと感じました。
戦隊シリーズではほぼ毎回おなじみの、「メンバーの家族が登場し、家族の絆を再認識」というエピソードですが、そこに千明をメインとして配置することで、単なる絆のお話に終わることなく、
「現実生活で生きていると、ついつい成長することをあきらめてしまったり投げ出してしまったり、成長しなくてもいいや、と慢心してしまいがちだけれど、常に成長したいという思いを心にしっかりと据えて生きなさい」
と靖子にゃんに喝を入れられた気がしました。
既出のエピソードに出てきた台詞やモチーフをしっかりと拾い上げて、秀逸なエピソードにきちんと仕立ててしまうところも併せて、
さすが靖子にゃん!!です。
「成長しなければ見えないもの。体験しなければ理解できないもの」
これが真理として厳然と存在しているが故に、私は自分が中国武術に関わっていても、そのほかの武道や格闘技については「わからないんですごめんなさい」と言うようにしています。
中国武術以外の武道や格闘技の中身云々について、経験してもいないのにむやみにアレコレ言う権利は自分には無いと思っているからです。
自分がもともとそう思っていたことを、改めて「そう。自分が実際に体験して成長していかなければ理解などできるはずがないのだからね」と、この「親子熊」のエピソードで念押しされた気がしました。
靖子にゃんの作劇力・ストーリーテリング力に万歳!って感じです。
※旧ログ「Qingxiangの日々的話話は」コチラ↓
http://plaza.rakuten.co.jp/dawuyan/
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