『2009/06/28(日) 線路に吸い込まれそうになった日。』にて、あまりの絶望感とつらさ苦しさに、JR京都駅の改札内コンコースの窓から線路に吸い込まれそうになった私ですが......。

その前からチラホラと
「もう大阪見限ったろか」
「日本見限ったろか」
「いやいっそのことホンマにこの世を見限ったろか」
が脳裏をグルグルし続けている日々がやたらと続いておりまして。

それもそのはず。
『2009/06/22(月) 代理でビルドアップ』で私のことを心配してくださってmixiメッセージをくれた某飲食店店長も彼自身の仕事のあまりの困窮ぶりに
「大阪捨てるか日本捨てるかこの世捨てるか」
と言い、
「大の男が声あげて泣きましたわ」
と言うくらいに、リーマンショック以降は困りきっているところ満載なわけですから。

私の場合は、定例指導のスケジュールを空けられるようにという制約つきで仕事を探さねばなりませんから余計に見つかるわけがありません。
食うや食わずだろうが体調不良だろうが、冬の戸外で寒かろうが(←寒いのは超苦手!ですT_T)、みんなに指導するためなら.......と思って行っていたのですが、はたして教わるほうはそれに応える気があるのやら........という参加状態。

社会起業支援サミットのスタッフミーティングではみんな自発的に「ああしよう」「こうしよう」と動くのに、(だうやんの場合、いくらそもそもが習い事の意識から出発するとはいえ)「何でこんなに参加する当事者意識に差があるんだろう」とサミット大阪ミーティングに参加するたびに「だうやんを理念どおり=“One For All, All For One”」にできなかった自分の力不足とふがいなさ・不徳さを感じて悲しくなってしまうほどでした。

ただしその一方で、『社会起業支援サミット2009 in大阪 運営ブログ』で「しっかりしようよ大阪人」というタイトルで触れたように、「大阪のための、大阪を元気にしようというイベントであるサミット大阪なのに、スタッフにネイティブ大阪人が一人もいない」という大阪にとってはゆゆしき事態に触れ、大阪市の行政機関で派遣就業した経験から総合すると、大阪が好きで大阪に引っ越してきたはずなのに、大阪と大阪人に対してなんとも悲しく残念な気持ちになってしまうんですね。

なんていうか、ハシモトくん(橋本知事)とか他の人にぶら下がってない大阪府民???
とか、私の被害妄想で済めばそれに越したことはないのですが、心身ともにあらゆる意味で困窮しているだけに、なんとも悲しく残念に感じるほうへと考えは行ってしまいます。

さらに。
今夏の全日本大会のパンフレットのあるページによって、
「果たして私に未来はあるのだろうか?」
と考えさせられる一件もあり。

もしもこのまま生き続けることを選択するのであれば、これまでとはまた違った目線も含めて身の振り方を考えねばならないところに来ているのかもしれない.......
という袋小路に行き着いているような状態です。



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