この作品は、なんとなく知っていたマリー・キュリーの功績に興味を持つ時間を与えてくれた、そんなミュージカルでした。

 

  “小学館 オールカラー版 世界の童話”という全何巻なのか分からないけれど、私が物心ついた時には家にあった30冊ほどのうちの1冊が『えらいひとのおはなし』という偉人のお話の本だったのですが、その偉人のひとりとして取り上げられていたのが“キュリー夫人”でした。挿絵も大きくひらがな表記のこの本を初めて読んだのは小学校低学年頃だったと思いますが、キュリー夫人の存在はもちろん、“けんやく”とか“ウラン”とか“ほうしゃのう”“ラジウム”という言葉を知り、それらの言葉を知ったのがこの話と記憶しているほど今になって思えば当時かなりインパクトがあったのかも知れません。この本の実験でのキュリー夫人はウラン鉱石をドロドロにする為、つきっきりで鉄の棒で鍋をかき回してはかなり体力を消耗していたような描写だったこともあり、今回“緑色の液体の入ったフラスコを手にするマリー“の画像を観た時に「イメージじゃないなあ…」と正直引いてしまったのでした。愛希さんが演じるエリザじゃない誰かのストーリーには興味はあったのですが、第一印象が良くなかった。しかしながら蓋を開けてみると、追いチケしたり予定してなかった方々が観に行ったりとかなり評判が良さそう。大阪公演もあるしチケットはまだ買えそうだったので、観てきました。

 

 注目したのはマリー・キュリーの生涯のどのあたりを切り取るのかということでした。私は前述の本以外は彼女の伝記を読んだことがなく、その本では「ラジウムを発見してノーベル賞を受賞した」までの話でした。公演プログラムでは“もう一人のマリー・キュリーの物語”と謳われていましたし、フィクションも交っているとのことで、ミュージカル作品として面白そうな展開だなと期待しました。

 

 まずは、ミュージカル作品として愛希さんのパフォーマンスに感動しました。宝塚時代ではトップ時代の後半しか愛希さんの作品を観たことがありませんでした。その中でも声のトーンとか凛としたところとかが『グランドホテル』のグルーシンスカヤのような感じになるのかなと勝手に想像していたのですがちょっと違うし、『エリザベート』のような年の重ね方も感じられたけれど、人物像が異なるだけにそれとは被らない。そんな的確な芝居とキーの合った歌で存分に聞かせてくれました。

 そしてマリーの夫ピエール役の上山さんも良かったです。私的にはアンジョルラス以来の上山さん。好きな声で芝居に優しさがにじみ出る方という印象なのですが、マリーがキュリー夫人ではなくてピエールがマリー夫君になっているこのストーリーにハマっていたように思います。ラジウム発見後のノーベル賞受賞者の発表の時、先にマリーではなくピエールの名が呼ばれ肩透かし気味になり、その直後にマリーがMrs.キュリーと呼ばれた時のちょっぴり不穏な空気。その空気が確実に醸し出される程にピエールの出番のバランス良さが全編通して絶妙でしたし、その演出に応える役作りだったと思います。

 

 上述の本でもピエールはマリーと共に研究して同時にラジウムを発見した人として描かれていたのだけれど、舞台と同じでピエールが鉄の棒で鍋をかき回すような描写はありませんでした。私が“キュリー夫人”を読んだ頃と同じような時期に知った女性の偉人たちには、ヘレン・ケラーやフローレンス・ナイチンゲールなどが居ますが、彼女たちはフルネームなのにマリーは違うことが不思議でした。ラジウムの発見者はマリーとピエールの二人みたいだから二人合わせて“キュリー夫人”という表現なのかな、それならキュリー夫妻じゃんなどと本を読んだ時からぼんやり考えていました。当時は女性蔑視とか差別問題とか何も知らなくてその方面について考えることもなかったので、本当にぼんやりとした感想であり心の奥底に眠った疑問でもありました。

 疑問と言えば、私が言葉から覚えた“ほうしゃのう”が原爆と関係するものだと小学校を卒業するまでには知ることとなり、原爆=悪 放射能=悪 キュリー夫人の功績=悪?みたいな疑問がうっすらと消えないままな時期が続きました。放射能と放射線の区別とその種類や医療等での用途など、マリーが発見したラジウムだけが原爆に関係しているわけではなく、人類を救うものでもあること等について今では理解しているつもりです。そんな放射能やラジウムへのざっくりとした見解と言いますか、科学を知らない者の単純な感想なのですが、今回の作品には“キュリー夫人の発見したラジウムは悪?”といった小学生の頃の私の誤解のようなものを払拭し、ラジウムに限らず用途や手段を間違えなければ“良”になるものがあるという、単純かつ明瞭なメッセージさえ感じられたのでした。

 

 この作品が“歴史的事実と虚構を織り交ぜたファクション・ミュージカル”と知りながら観つつ、そのこと自体を忘れてしまうほどに物語は面白くて、時折なるほどと思い出すところもありました。アンヌは実在の人物ではないのだけれど、本当に存在した女性のようでもあり、宝塚版『風と共に去りぬ』のスカーレットⅡのようでもあり、マリーの心情を浮き彫りにしたり呼び覚ましたりする存在として重要な役だと思いました。また、ラジウム発見までの4年間をはじめ研究に費やしたお金の工面での苦労などのリアルな描写がないところも、ファクションという言葉で包み込むことが出来、マリーの人物像を中心に描くことが出来て効果的だと思いました。「実験に打ち込むことが娘への愛情」みたいなマリーの台詞があったけれど、そう語らずともその思いを盾に子育てから逃げているわけではなく、母親の揺るぎない姿勢を示すことで娘も功績を遺し、晩年の病床でリアルな会話が出来る母娘関係が構築出来たこと。全編通して娘への愛情は感じられる人物像になっていたと思います。

 

 ラジウムがもたらす悪影響が表面化するにつれて苦悩するマリー。ソルボンヌ大学に向かう汽車の中で出会った時にアンヌに誓った「科学に名を遺す」ことが潰えてしまうことへの嘆き。そのアンヌまでも失ってしまう。葛藤という言葉では尽くせない愛希さんの演技が凄かった。そして夫が事故で亡くなる悲劇。失意のマリーに泣けたのはその演技が素晴らしかったのはもちろんですが、それまでの少ない出番から二人が愛し合っていたことが分かる演出と役作りだったことが大きかった。それでも研究を続けることが供養でもあり夫への愛でもある。娘への愛情にも重なる。夫を実験対象にするという究極の決断に至るまでの姿。研究者として、ひとりの女性としてのマリーを最大限に表現していたと思います。

 

 あれっ?となるところは「ファクションが入っているから」と深堀りしなくてよくなるところがあっさりした感想にもなるし構想が膨らみます。ルーベンの存在なども舞台が進むにつれてトートみたいな存在なんだなあと解っていく。ほのかに発光するような衣装で悪を重ねるルーベンとは正反対に暗い舞台でマリーが手にするラジウムの輝きは美しかった。ラジウムの脅威はルーベンで光はアンヌと勝手に構想してしまう。マリーとアンヌが歌う「あなたこそ光」はマリーが自身の発明を称え希望を見出す素晴らしいシーンでした。

 

 私自身は科学は苦手だったけれど、この世は科学で成り立っていることも理解しているし面白いなと思っています。様々な研究や発明が今の世を支えていることも。そしてこの作品には触れられなかった費用などは私財を投げ打ったりして工面していることなどもあとで調べて分かりました。研究にはお金がかかる…そんな単純なことを科学を知らなくても理解出来る。それなのに、ここ最近は国からの予算が削られているとのこと。何事も継続し進歩させないと滅びてしまう。科学に限らず研究者たちに存分な研究の場や環境を与えられますようにと願わずにはいられません。

 

 マリーがアンヌとの出会いで交換した元素記号を書いた画用紙。それに二人の名前を記してアンヌに渡したものが晩年に返ってくるのが良かった。

 「私が誰かではなく、私が何をしたかを見てください」見得を切るのではなく討論の中で男性陣を見上げながら吐くマリーの台詞が素晴らしかった。科学に名と功績を遺すことに尽力したマリー・キュリー。この作品のプログラムのタイトル表記が面白い。マリー・キュリーのスペルが全部大文字で頭文字のMCだけフォントがでかい。ふとMCって元素記号があるのかなと調べてみた。モスコビウムという放射性の強い合成元素らしい。このプログラムのサイズや色合いがマリーが元素記号を書いた用紙にも思えてくる。短辺ではなく長辺開きだったらマリーのスケッチブックに寄っていたかも知れないねえと、短辺横開きの珍しいプログラムにしみじみ。

 

 

 本日4月23日、もうすぐ日本公演初演の大千穐楽の幕が上がります。これからも再演を重ねられる作品となりますように。