昨日無事に月組東京公演『グレート・ギャツビー』が開幕しました。
その前日に、初演雪組『華麗なるギャツビー』を演じられたトップコンビのお二人が舞台稽古を観劇されたとのこと。私の記憶に褪せることなく刻まれている杜さんのギャツビーと鮎さんのデイジー。お二人にとって一幕物だった初演とは違うボリュームやキラキラした令和の『ギャツビー』は実際はどのように映ったのでしょうか。この状況下で私は宝塚で1回観ることが出来ました。楽しむことは出来ましたが色々複雑でした。初演『華麗なるギャツビー』への思い入れがそうさせたのだとは思うのですが、その辺りを自分の気持ちを整理しつつ感想を遺したいと思います。
2ヶ月くらい前に、#わたしを作った宝塚演目5つ をツイッターで応えたのですが、そのうちのひとつであり上演順で2番目に挙げたのが『華麗なるギャツビー』です。世界初のミュージカル化であり、日本初演すなわち宝塚初演版で1991年の雪組公演です。自分自身で初めてチケットを買って観に行った作品でもあります。きっかけはその少し前に平成の初演版と言われた1989年雪組公演『ベルサイユのばら/アンドレとオスカル編』をNHKの番組で観たこと。杜さんアンドレと一路さんオスカルの芝居に惹かれてお二人の作品を生で観たいと思いました。その辺りにもう少し触れますと、当時放送された雪組『ベルばら』はかなり衝撃的でした。重複しますが、まず芝居に惹かれました。そしてその『ベルばら』は何ともいい具合にカットされて放送されたものでした。プロローグの後、仁科有里さん演じるマリーアントワネットの第一声で始まり、一幕はベタにマリーアントワネットの見得で終わり、毒入りワイン、今宵一夜、バスティーユ、ガラスの馬車で幕。アンドレとオスカル編だけにアントワネットの最期がないけれど、ポイントを全て押さえた編集で、カットされたシーンが無くても十分『ベルばら』でした。ストーリーを把握しているからそう感じられたのかも知れないけれど、とにかく久しぶりに観た『ベルばら』の主要キャストのビジュアルはもとより、歌えば上手いし芝居は上手いしで一気に引き込まれていきました。杜さんアンドレも一路さんオスカルも他の出演者もその時代に生きているかのような迫力ある芝居。星組から特別出演の紫苑ゆうさんのフェルゼンがまた素敵でした。昭和の『ベルばら』もテレビで知ってその頃には原作を何度も読んでいたこともあり、『ベルばら』が持つ演目の力もあったとは思いますが、とにかく杜さんと一路さんの芝居観たさに思い立った時に最短で買えたチケットが『華麗なるギャツビー』だったというわけです。
原作もあり映画化もされていた作品だけれど、当時はそんなことは知らず、杜さんと一路さんの舞台を楽しむ姿勢で『華麗なるギャツビー』を観ました。繰り出される台詞通りの登場人物たち、ストーリーや展開に合った美しい歌や音楽、イメージする時代を感じさせる旧大劇場の電飾とその照度、主要キャストを美しく見せつつ出しゃばらないデザインの衣装の数々…『ベルばら』でなくても楽しめる作品として『華麗なるギャツビー』は心に刺さりました。
ルイヴィルの回想シーン、シャツを投げるシーン、本物の車しかもちゃんとした外車が舞台上に2台も登場、ゴルフ場の景色やコースの距離感の変化、新しい場面毎に歌とダンスで状況はもちろん時代背景さえも表現する展開…何もかも印象的だったけれど、これ無くして『ギャツビー』は上演出来ないと思う程に名曲である『朝日の昇る前に』に心打たれました。情景や心情が伝わるというか、一曲歌うだけで序盤から4回もそれらが展開する主題歌。それを歌う杜さんの心情の乗せ方や表現力が素晴らしいものでした。
『華麗なるギャツビー』はミュージカルだと後で知りました。思えば音楽や歌の比重が高いミュージカルっていいなぁと感じた第一歩だったような気がします。台詞が歌詞になればわかりやすい言葉ではっきりと表現してくれる。がっつりな芝居も好きだけどミュージカルもいいなと思ったのがこの時だったと思います。芝居と言えば、当時既に映像ではあるけれど『川霧の橋』と『紫子』も観ていて、宝塚に日本物があることを知り、柴田先生の作品に惹かれていたのもこの時期だったかも知れない。私の狭い宝塚のイメージでのカテゴリーが、『ベルばら』植田先生、『日本物』柴田先生、『ミュージカル』小池先生?となり、小池先生の作品に注目していくと同時に、当時の雪組作品を遡っては追っていた時期でもありました。『華麗なるギャツビー』から翌年の月組『PUCK』とその3年後の雪組『JFK』、それらの上演が雪組『エリザベート』の日本初演に繋がる過程も含めて小池先生の作品が好きだったのがこの時期です。
『華麗なるギャツビー』の話に戻りますが、この作品はデイジーを演じる鮎ゆうきさんの退団公演でもありました。
この作品がNHKの『花の指定席』で放送された時、ゲストの杜さんと鮎さんと一路さんによるトークも流れたのですが、「鮎ちゃんは美しいけれど退団を前に一層美しくなった」みたいなことを一路さんが口にしていて、その時に卒業生ならではの幸せオーラというものを知ったような気がします。鮎さんのデイジーは本当に美しかった。ルイヴィルでの若さ、女の子の母になった幸せ、ギャツビーと再会した時のときめき…折に触れて醸し出される美のパワーが半端なかったと思います。
「女の子は綺麗で自分は幸せだっていつまでも信じていられるくらい馬鹿な方が幸せなのよ…」
「なってみせるわ…ただのバカの女の子にねぇぇぇぇぇぇぇぇ」
本当に綺麗でないと説得力がないこれらの台詞。鮎さんのデイジーは説得力あり過ぎました。
また、事故で半狂乱のデイジーを宥めて家に帰す銀橋のシーンで、ギャツビーが言う「ここからは一人で行けるね」の台詞。「ここ」から向うに行ってしまったら、「ここ」で別れてしまえばもう会えなくなる二人。退団する鮎さんを送り出す杜さんの言葉となって泣けたのです。
と、ここまで書いてきて、上記の『花の指定席』っていつ頃どのタイミングで放送されたんだっけ?と思い留まる。鮎ちゃんはまだ現役な時にゲストで、大劇場の『ギャツビー』の放送が終わって併演の『ラバーズ・コンチェルト』が流れるまでのトーク、しかも退団を目前に…みたいなトークが展開されていたはず…ん?と思い当時のプログラムを見てみると…すっかり忘れていましたが、大劇場公演は1991年8/8~9/17で東京公演は同じ年の12/3~12/26に上演で、今と違ってムラと東京の間にあった2ヶ月半くらいの期間に収録して放送されたものなのかも知れません。
『華麗なるギャツビー』への思いはとりあえずここまでにして、その思いは今も変わらず私の中でまた観たい作品の1位で独走状態でした。その間、2008年の月組日生劇場公演『グレート・ギャツビー』は観ず、2017年東宝/梅芸版『グレート・ギャツビー』は1回だけ観た状態でした。梅芸版で一本物になった『ギャツビー』を初めて観て、歌の比重が高くなっていることに違和感を憶えました。歌う台詞がストーリー展開のスピードを緩めていたからです。迫真の芝居ではあるものの「歌っている場合かよ!」と突っ込んでしまう箇所がチラホラ。使われている歌も違う。特に雪組の『恋のホールインワン』が好きだったので全く違う歌になっていたのが残念でした。
そんな感じで一本物のままの月組『グレート・ギャツビー』にあまり期待しない状態で臨みました。
これまで語ってきた『華麗なるギャツビー』の好きなところが違っていた…というのが正直な感想です。
一本物にした分、『華麗なるギャツビー』に描かれていなかったシーンが増えていて、アイス・キャッスルでのウルフシェイムたちのダンスや二幕序盤のジーグフェルド・フォリーズの場面など、ショーアップしたところは素敵でした。しかしながら、ルイヴィルの森や神の目の幻想シーンでトムがデイジーに釘を刺すところなどは、初演しか知らない身としては諄く感じられました。そのシーンを想起させる他のシーンでの生徒の芝居の力で十分想像出来るシーンだからです。それが初演だった。昔も今も芝居の月組であるなら出来るはず。一本物として続けるならば百歩譲って、ルイヴィルだけでも台詞は使わずにあくまでも回想シーンとしてダンスや歌でショーアップしたものにして欲しいと思いました。
開演前にプログラムで使用曲の確認をした時に、「女の子は・・・」が台詞ではなく歌であることや増えている曲があるのに『入り江がひとつだけ』を今回更に増やしたとかで、梅芸版の再来かもとがっかりしたのですが、『恋のホールインワン』の歌詞が初演のままみたいだったのでテンションが上がりました。一幕観終えたところで梅芸版の再来はなかったものの、初演の歌の歌詞の大半を使いつつ曲は微妙に変えた歌が随所に使われているのが分かって、懐かしさよりも違和感、懐かしいだけに違和感、って感じでそのモヤモヤが晴れないまま二幕へ突入。肝心の『恋のホールインワン』は一幕同様、同じ歌詞なのに微妙に変えた曲だったので、好きな歌や場面が微妙になってしまうと言う、私的に残念な展開となりました。
一本物の芝居が終わった後に即フィナーレが始まるのも残念でした。一本物が好きでない理由のひとつではありましたが、今回はそれを痛感しました。私の狭い宝塚観劇でこれまで観てきた一本物で好きだったのは、『紫禁城の落日』『王家に捧ぐ歌』『All for One』と、長い年月経過や広い国土とその国土を跨ぐようなスケールの大きな作品ばかりです。そこで歌われる主題歌のサビをパレードでトップが歌い上げて、僅かなフレーズの世界観が大作を美しく締める…それが私が勝手に望む一本物作品です。
『ギャツビー』は一本物に相応しいとは思えなかった。一本物にするには登場人物が少なすぎる。一本物には長い年月経過が必要な作品が合う。『朝日の昇る前に』は芝居の中でギャツビーが歌うものだけ聴きたい。パレード仕様の『朝日の昇る前に』で手拍子することの虚しさよ…等々、一本物になった『グレート・ギャツビー』には思うところが多すぎました。
主要キャスト毎の感想としては、全体的に細かい描写でありながら表現に余裕がある芝居が印象的でした。
月城さん。
ギャツビースーツ姿が素敵でしたし、デイジーを思うが故に対岸に豪邸を建てて連日パーティーを開いてデイジーとの再会を待つ…
暗黒街で金儲けはするけれど麻薬には手を出さない!!
今で言うストーカー染みた行動にも裏街道に慣れている姿にも説得力や信念が感じられました。
海乃さん。
登場から冴えない感じで、親の躾から解放されたものの夫の浮気に怒りや悲しみを通り越した闇を感じました。
娘だけが生甲斐。
「ただのバカな女の子に…」を台詞ではなくて歌で表現するのが似合ってました。
鳳月さん。
混乱しました。トムってこんなカッコイイ役だった?
貴族とかのゴージャスな役が似合う。
ポロ姿もゴルフ姿もパーティーのタキシードも素敵でしたが
結愛かれんちゃん演じるヴィッキーの楽屋を訪れた時の
光る素材のスーツをお洒落に着こなして良かったです。
風間さん。
ニックの純粋で不器用そうな感じが初演の一路さんみたくて
好みでした。ジョーダンに惹かれる様子も解り易かった。
彩みちるちゃん。
歌劇の座談会では具体的なジョーダン像を掴めていない感じだったので心配してたのだけど杞憂でした。プロ選手として戦う強さとニックに見せる心の内も意外性がない可愛いところがあって素敵でした。
天紫さん。
台詞通りの激しさがもっとあればいいと思う。
まだまだ幸せそう。もっと渇望した感じだといいな。
結愛かれんちゃん。
姿やダンスだけでなく華のある声でトムが楽屋に訪れた時の芝居が良かった。
もっと大きな役が見たくなった。
夏月さん。
その存在や言葉だけで年月経過や人物相関を感じさせてくれる。
デイジーの乳母という役が、海月さんの組配属からトップ娘役への成長を見届けることと重なって胸熱でした。
光月さん。終盤、マートルを監禁してしまう程に狂気が凄まじいジョージだったので正直引きました。妻に心配より疑いの目を向けるジョージは切なすぎました。
英真さん。
初演の岸さんに近いヘンリー・ギャッツでした。温かくて。少年時代のギャツビーが現れると少し若返ったように感じられたのが不思議。このシーンが遺って良かったと思いました。
何度か観たら印象も変わるのかもしれないけれど。
とりあえず感じたことの記録として遺しておきたいと思います。
今日も無事に東京公演の幕が上がりました。
大劇場もバウも全ツも公演が止まることなく上演中です。
少しずつですが第7波の感染者も減ってきています。
それでも観劇する場所が100%安全な場所になっていない。
客席で出来る「マスクをしていてもしゃべらない」を全員が守らない限り、この不安は続きます。
「宝塚っていいなとしみじみと実感しました」
杜さんが先の舞台公演をご覧になった時のこの言葉に尽きると思います。
宝塚の舞台が一公演も休むことなく上演し続けられますように。
夢の世界を届けるタカラジェンヌはじめ関わる皆さんの心も身体も健やかであり続けますように。