疎遠になっていくつながりとは、

いったいどういうつながりなのだろうか?


自然と疎遠になるということは、

お互いの波長が合わなくなっていった、

ということだろう。


自分の波長が、積極的にどんどん明るくなろうとしているものだとしたら、

もともとそれほど明るくないものは、自然と遠ざけるようになるし、

積極的に明るくなろうとしないものとも、心地よく思わなくなるので、距離を取るようになる。


私の場合、自然と縁が切れてしまった相手というのは、

もともと暗い人だったり、積極的にどんどん明るくなろうとしない人だった気がする。


若い頃は、それでも楽しく過ごしていたので、今でもたまに昔を思い出して懐かしむことがあるけど、

やはり、自身の波長がキラキラしている今では、とてもそんな人たちと楽しくなるとは思えない。


せっかく大きく輝いているこちらの波長を、そんな人と会ってどんよりさせたくないからだ。


大きく輝いて、どんどん拡大している波長を、止めてしまいたくないのだ。


1年に1度会う友人にしても、常にどんよりとした暗さが漂っている。


家庭不和をかかえるこの友人と一緒に食事したあとは、

なんともいえない沈んだ気持ちになってしまう。


この友人も、いずれ会わなくなるのかもしれない。

(こちらから連絡することはない)








多次元の自分は、この瞬間、どんな空間で何をしているのだろう?


いつか、その雰囲気が感じとれるだろう。


もともと、何かを見つめていて、意識がすぅーっと飛んでいくことが良くある。


電車に乗っていて、車窓から見える建物の窓を眺めていたら、

すぅーっと、その窓の中へ意識がいくことがある。


そして、その窓の中の雰囲気をカラダで感じとる。


それは実際の景色でなくても、鉄道動画の車窓映像からでも同じだ。


映像を見ていると、意識が、すぅーっと飛んでいき、

建物の窓の中の雰囲気を感じとれる。


雰囲気を感じとるというのは、

実際に自分がそこにいる、という感覚だ。


今のところ、何かが見えるということはないけど、

なんとなく、どんな空間なのかは分かるようになるだろう。



なので、意識は自然と飛んでいける。


良くユーチューブで海外のライブ映像を見ているけど、

見えている景色よりも、建物の窓を見ている方が、意識は飛びやすい。


車窓からの景色と同じで、建物の窓の方が意識が飛びやすく、その中の雰囲気が良く感じとれるからだ。



意識を飛ばして、あちこち旅をしてみよう。