皆さん、なぜ義務教育で英語を話すことができないのか疑問に思ったことはないでしょうか?
私達は英語の授業で、話す練習と読解する練習ではどちらの時間が長かったでしょうか?
この式をご覧ください。
1+◻︎は5でした。
◻︎はいくつでしょうか?
…もちろん4ですね?
言葉というものは公式化、マニュアル化できないようになっています。なぜなら会話に対する応答は人それぞれで千差万別だからです。
けれども私達は中学、高校でひたすら独り言のように質問文や否定文、過去、未来文を学びます。会話はほぼありません。
あえて公式化するのであれば、
◯+◻︎=5
という公式ではないでしょうか?
◯は私達、◻︎は外国人もしくは講師です。
そしてお互いが噛み合う答えを会話で出すのです。
私達のレベルが上がれば、そのうち掛け算のように大きな答えを出せるかもしれません…会話では長くお話しできるかもしれません。
更にレベルが上がれば、そのうち割り算のように大きな数をスッキリ割ることが出来るかもしれません。…会話では外国語で討論をし、スッキリした答えを導き出せるかもしれません。
そうなれば、だいぶ高いレベルですよね?
足し算が出来ないのに、いきなり掛け算や割り算を学ぶのは容易ではないですよね?
それでも中学高校では、そこを無視して単語や読解をひたすら学びます。
ではまとめます。
・会話文とその応答は数多幾千とある。
・紙の上で言葉の意味を百覚えてもそれが瞬時に会話時に変換され口から出るわけじゃない。
・人はそれが人生で必要が無いことだと認識するとそれを除外する。(ちなみに子供が日本語だけ話すのは、英語が生活で必要ないと、苦痛だと判断した結果です)
