センカクショトウ、あれは私たちの国の島だという、そんな張り紙、広告、立て看板、走る車両、町中のいたるところで目にした。


 歴史にこだわるあまり、ひどい暴動も起きた。そのとき、日本の車に乗っていた中国人がむざむざ殺された。

犠牲になった人命により、今何の問題が解決されただろう。


 同国の人間の争いから起きた人命の死に、もくとうはきっと無かった。

ここで起きた無関心はその憎しみよりもひどいものだったに違いない。


 相手を許すことは、自分が許されること。それをあえてしない行為は、未来を潰していることに等しかった。


ラーメンと雑誌を両手に持ち、雑誌をベットに投げようとしてラーメンを投げた。

 

 不平等という観念の中、命の平等を感じることができなかった。

交換条件や格差社会で成り立つ世に、信用、愛等、目に見えないものの価値をみいだすことがなぜできようか。


 不平等では、金のため、メンツのため、盗みも嘘も、人を傷つけることすらも強いられる、そんな社会になるだけだ。そんな国が発展途上国と言われても仕方がない。


 今は、そういう文化が成り立つ社会に問題がある、暴動の原因は歴史でもセンカクでもない。