「私は赤十字に寄付をしている。それも大金だ
なおかつ自分の事業もある。
子供にも恵まれ、幸せな家庭も築いた。
豪華な家に、高級車と運転士、家政婦は当たり前。
私はこれ以上、何を求めればいいのだろうか?」
そんな金持ちが、ホームステイ先にいた。
路上の浮浪児に目を向けることも、目の前の人をたすけることもない。
ただ、彼女の目には、自分の事業と、我が子しか見えていなかった。
募金で間接的に人を助けるなんて、
養育費だけを払う父親のようなもの、
そして、目に見えない動きをとる金を信じること。
体を張って、愛情を見せることもない。
母親は子を生む際すらも、痛みに耐えるものだ。
本当の愛ならば痛みを伴う。
この国では、富裕層には富裕層の、
貧困層には貧困層の幸せがあると、よく耳にした。
しかしそれは、浮浪児たちが、透明人間のように無視され、人間の尊厳も与えられていない現実を見ない為の、言い訳にも聞こえた。
誰の命であろうと平等である事実に、その感覚は麻痺していた。
私は、何でも持っているではないか、
材料ならば、きっとすべてそろっている。
もし足りないものがあるとすれば
それは勇気と根性だけなのかもしれない。
私たちは富におぼれてはいけない。
十を知り、少しでも不平等と戦わなくてはいけない。
自分たちが死んだときに何が残るのか、考えて行動しなくてはいけない。



