"Cerca trova" 探せ、さすれば見つかる!フィレンツェ~ヴェッキオ宮殿 | レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

レオナルド・ダ・ヴィンチのノート

万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍を紹介していきます。

フィレンツェの中心、シニョリーア広場の一角を占めるヴェッキオ宮殿。
その中にある「5百人広間」の壁面に、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた未完の「アンギアーリの戦い」は飾られるはずだった。


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$レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-ヴェッキオ宮殿の500人広間
ヴェッキオ宮殿の500人広間

1505年6月6日金曜日、ちょうど13時(午前9時30分頃)を打った時、私は宮殿で絵の具を塗り始めた。絵筆を置いたその時、天候が悪化し、裁判所の鐘が鳴り始めた。下絵はたわんでしまった。水差しが壊れ、中に入っていた水が飛び散った。突如としてさらに天候が荒れ出し、日暮れまで激しい雨が降り続いた。あたりは夜のように暗かった。

レオナルド自身によるこの覚書が、この巨大な壁画を未完成にさせた出来事を記録したものかは定かでない。別の記録によれば、壁面によく固着しない材料(騙されて粗悪な亜麻仁油を使った)を用いて描いたため、結局この作品を未完成のまま残すことになったとされている。

当時の壁画の姿を現代に伝えてるのがルーヴル美術館所蔵のこの模写だ。
ルーベンス作とされるこの水彩画は、もともと他の芸術家が描いた素描の上に1603年頃ルーベンスが水彩で加筆したものである。

$レオナルド・ダ・ヴィンチのノート-アンギアーリの戦い
アンギアーリの戦い(模写)ルーヴル美術館所蔵

1504年、フィレンツェ共和国政府はアンギアーリの戦いの反対側の壁に、カッシーナの戦いをテーマとした壁画を依頼した。作者はレオナルドのライバルだったミケランジェロ。ルネサンスを代表する巨匠の対決と言うわけであるが、結果的にはどちらの作品も完成していない。

その後、ヴァザーリが5百人広間の壁画シエナ攻防戦を書き直しているが、実はヴァザーリの壁画の下にレオナルドのアンギアーリの戦いが当時のまま保存されているのではないか?という議論が交わされている。

1972年、アメリカ人保存学者H・トラヴァース・ニュートン氏が「サーマヴィジョン」と呼ばれる機器を使ってこの広間の壁の中にあるものを調査した。その結果、西の壁のヴァザーリのフレスコ画の下に幅約23m、高さ約4.6mの「特異な層」があることを発見した。

続いて行われた壁に穴を開けて少量のサンプルを採取する調査では、西側の壁の中の「特異な層」の中に、赤い顔料の層があることが分かり、その上には最後の晩餐にも使われた炭酸胴の緑の絵の具と、岩窟の聖母に使われたコバルト・ブルー、アズライト・ブルーがあることが確認され、レオナルドの壁画がある可能性が高まった。

マウリツィオ・セラチーニ博士は、東側の壁画の中に書かれた"Cerca trova"=「探せ、さすれば見つかる」という文字に着目している。「特異な層」に隠されたアンギアーリの戦いのことを指しているのだろうか?そうだとしたら凄いことである。見てみたい!


こちらはテレビで放送されたアンギアーリの戦いについての番組。セラチーニ博士も出演している。
ちなみに自動車やマルチ・キャノン・ガンシップのCGは、アトランティコ手稿のCD-ROMに収録されているのと同じものだね。