大きなホウキを持ってサライがアトリエを(ダンスしながら)掃除していると、レオナルドの友人、ルカ・パチョーリがやってきた。パチョーリは、レオナルドも尊敬する建築家アルベルティの知り合いでもある著名な数学者。現代に通じる複式簿記システムが書かれた「スンマ/数学大全」を出版して大好評を得て、後にユークリッド幾何学の翻訳・解説書と「神聖比例」を出版。交流の深かったレオナルドが多面体の挿図60葉を描いている。パチョーリを見てサライは以前レオナルドが言った言葉を思い出した。「迷信や似非科学がはびこるこの世界に光を投げかけるのは数学なんだ。」レオナルドは奥の部屋にパチョーリを案内し、左右反対に書かれた文字が書かれた数枚の図面を机の上に広げた。
ルカ・パチョーリ(右)
「さて、これは何です?」「実はお願いしたいことがありまして。このところ私はこの水力システムを使って、水の衝撃力をこちらの装置に蓄え、自動車や空を飛ぶ機械の動力源としたいと考えています。この装置からは非常に強力で、しかも長時間に渡って動力を出さなければなりません。」「なるほど。で、どのくらいの力が必要なのですか?」「一度に馬100頭分、いやそれ以上の力を丸一日続けて出せるようにしたいのです。しかも持ち運びが出来るように出来るだけ小さくしたい。」「何と!、果たしてそんなことが可能なのでしょうか?この図面によると超強力なゼンマイのように見えますが。」パチョーリは鏡面文字に目を凝らして質問した。「おっしゃるとおりです。それらの材料については今ゾロアストロが研究していますのでご安心を。流れる水から衝撃力を取り出すには水車が最も適しています。貴殿にはこれだけの力を溜め込むためには、いったいどれだけの水車や設備が必要なのか、それから構造的に耐えられるようにするには設計的にどのようにすればよいか等、アドバイスして欲しいのです。」「分かりました。ご期待に沿えるよう、何とか考えてみましょう。そうだ、この装置、Energia(エネルギア)と名付けてはいかがでしょう。ギリシア語で力強く働くという意味です。ぴったりだと思うのですが。」「本当ですね!ありがとう。」レオナルドは笑顔でパチョーリに握手した。
一週間後、パチョーリからエネルギアの計算についての手紙が届いた。
「先日貴殿が言われたように十分な力を蓄えるためには、平均的な川の流速から考えて、720時間すなわち約1ヶ月間のチャージが必要となると思われます。仮にエネルギアの内部の特殊なゼンマイを1日1回転、1ヶ月間30回転でフルチャージするとします。水車が毎分5回転で回るとすれば、一日あたり1440分×5回転=7200回転、これを特殊ゼンマイ1回転に変換する歯車装置を作れば良い。例えば7200:1のギア比を実現するには、水車の車軸につないだウォームギアから120枚の歯を持つ大きな歯車へ(1:120)、次に24枚の小さな歯車から120枚の大きな歯車へ(1:5)、さらに24枚の小さな歯車から96枚の大きな歯車へ(1:4)、最後に24枚の小さな歯車から72枚の大きな歯車へ(1:3)と変換してやれば良いでしょう。これで120×5×4×3=7200となります。それから最後の歯車の主軸に1:30の歯車をつけておけば、30回転分のうち何回転チャージしたのか目盛りで読めるようにもなります。
蓄えられた衝撃力を取り出す際はこの逆のプロセスを行えば良く(ウォームギアは除く)、ギア比を変えることで例えば1ヶ月かけてチャージした力を1日で放出するならば30倍、1時間で放出するならば720倍の運動をさせることが出来ます。仮に水車の羽根1枚あたり10リットル、すなわち水の比重を1.0とするならば10kgの力を得ることが出来ますので、24枚の羽根が付いた水車であれば、毎分5回転×240kg=1,200kg(1.2t)となり、これが30倍となれば36t、720倍ならば864tのものを動かすだけの力を得ることが出来るでしょう。ただしこれらの力に耐えうるだけの強度を持った歯車、板バネ、ケース等をつくる必要がありますが。ついては専門家であるゾロアストロの活躍に期待する次第であります。」手紙を読み終えたレオナルドは満足そうに頷くと、ゾロアストロがいるアトリエへ向かった。
「ゾロアストロ!」サライと夕食を食べていたゾロアストロは振り向いた。「やぁ、レオナルド。君の小悪魔君はほんとに良く食べるよ。この間ジャコモ・アンドレのところに行った時だってさ、2人前食って酒のビンはひっくり返すわ、さんざんいたずらしたあげくに帰ってからまた飯食ってたもんな。今日だってすごい食欲だ。恐れ入るよ!」「サライ、もう十分食べたのなら向こうにいっていなさい。」レオナルドは椅子に腰をおろすと皿をどけて、パチョーリからの手紙を見せた。「864tだって!? 冗談じゃない。そんな馬鹿力を支える歯車なんか出来っこない!それに歯車を支える軸受けだって摩擦でぶっ壊れちまうぜ。そういうことも全部考えなきゃ。」「摩擦に強い車軸ならちゃんと考えてある。」レオナルドの左手が、ボールで尖った軸を支える軸受けの図面を描いた。「それよりも特殊な合金か何かで、その馬鹿力に耐える材料を探してくれないか。頼む。」「分かったよ。おい、サライ、まだパンがあるぞ。」ゾロアストロはそう言って固いパンを投げた。
「いくら強力で特殊とはいえ、ゼンマイはゼンマイだ。ということは最初は勢い良く力が出るが、ゼンマイがほどけていくうちに次第に力が弱くなって行くに違いない。かつてブルネレスキの伝記に、フュゼー(円錐形のギアを組み合わせたもので変速を行う装置)を使ってこの力を均等化する方法が載っている。これを採用した方が良さそうだ…」
「イタリアでは気象条件が合わないから、スペインのように風車による製粉は盛んではない…主に水力で行われている。従ってエネルギアのチャージにも水力が適している。この水力装置のように、同じシステムをつなげて作ることにより、同時に沢山のエネルギアをチャージしたり、また同時に一部では製粉を行ったりすることが出来るかも知れない。これなら4×4×2=32個を同時にチャージ出来るし効率的だ…」
独り言を言いながら図面を描くレオナルドにサライが言った。「うわー、工場みたいだね。何だか水力発電所に似てるよ!」「やれやれ、また未来の話か。でもどうだ、なかなかうまく出来ているだろう。」「うん、まるでもう完成しているみたいだね!」二人の頭の中では、既に夢の動力を得た自動車が走り回り、飛行機が自由に空を舞っていた。
水力による大規模な施設
続く…

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