前回は社会的リハビリテーションについて書きました。
これも当事者の方から学んだことですが、生活の中で元気になっている当事者は、医学的リハビリテーションだけでなく、社会資源を上手く活用して、社会的リハビリテーションを成している方が多い事という事です。
そして、医学的リハビリテーションと社会的リハビリテーションを相互作用させて元気になっている印象を受けます。
なので社会的リハビリテーションへの視野が必要でとても大事だと思っていますが、
本来、我々療法士は医学的リハビリテーションの役割を担っているとも思っています。
理学療法士は理学療法、作業療法士は作業療法、言語聴覚士は言語療法をするといった役割です。
そして一般的には療法士はそれを期待されており、一番の役割であり、ここが足りていない、欠けていると本末転倒です。
だから、療法士がリハビリテーションを考えるなら、まずは自分の役割をしっかりする事が、チームの視点、当事者からの視点から見ると先決だという事を、はっきりと述べていきたいと思います。
今回は医学的リハビリテーションとして、私の場合は理学療法を、どう取り組んできたのかを書いていき、今後の事業所の方向性を書きたいと思います。
まず、私は病院にいる時、生活期は環境や家族との関わり、活動と参加などがメインで、理学療法での改善はあまり期待できないのではないかと思っていました。
その中で、病院から地域へ出てきた時も、自分の理学療法で、どこまでできるかの勝負だと思っていました。
実際に地域リハを数年やってみて、理学療法は地域の場面で、とてもとても重要です。
その中で根本として大事だなと思う事があります。
それは解剖学、運動学、生理学をベースとして考える力です。
臨床を何年かやってきて、医学的リハビリテーションの中では必ずこの力が必要だと感じてます。
訴えのある事に対してこの3つの学問をベースに考えていけば、問題に対処していく我々にできる事の多くは、それでなんとかできると思うから、そしてそうでないと説明できないからです。
もちろん最新の知見や特別な技術を知っておかなければならない事もありますが、この力がなくては知見や技術におぼれるだけだと感じています。
実際、そういう方に出会う場面は幾度も経験しました。
話は変わりますが、私は高知にある高知医療学院を卒業しました。
ここで出会った先生方は、口をそろえて「考える療法士を育てたい」とおっしゃってました。
私は社会人を経験してからこの学校に入学しており、そこでは同じクラスに私と年の近い人がおり、社会では知識が武器になる事を知っている方と共に、学びながら過ごせました。
そして就職した病院では、特に生理学に強い先輩がいて、療法士として駆け出しの貴重な時期を、その方の知識の使い方を直に学びながら過ごせました。
今思うと、とても恵まれていた環境で、考える療法士の方々が周りにいて、育っていけたんだなと思います。
そして医療学院を卒業する時、1人の先生が「療法士の仕事は、教える事」という話を、生徒を送りだす話にして下さいました。
これが自分にとって、とても印象深く、働き始めても患者さんに自分のやっている内容は、例えばストレッチ一つをとっても、しっかりと説明できる事を意識していました。
これはこういう動作にこう効果をだすため、歩行にこう効果をだすためといった風にです。
この説明できるようになるために、特に意識していたのが、解剖学、運動学、生理学に落とし込んで考えぬく事です。
また療法士になりたての最初の3年は特に、国家試験で勉強した知識を忘れないうちに、自分のやっていることの説明に落とし込んで、経験した患者さんの症状の中で知識を脳に焼き付ける。そういう作業を繰り返していたように思えます。それでもだいぶ抜けましたが。
そうやって過ごしていくうちに、いつしか学生の実習のバイザーを何回か受け持つようになりました。
バイザーをやっている内に気が付いたのですが、専門用語が伝わる学生に説明ができなければ、当然患者さんには説明できるわけありません。
そうやって学生に教えながら、自分の説明のスキルを上げようと取り組んでいました。
そして学生にも、学校で勉強している知識が臨床で使われている事を知ってもらい、実習から帰った後も勉学のモチベーションになればという思いでした。
よくセミナーにも参加しましたが、実技より、その手技が知識をどう使って成り立っているかの方が興味がありました。
これは今でもそうです。
もちろん、学校で習った知識より、掘り下げなければならない場面もありました。
そうやって何年か病院でやってきてある程度やれる自信と、怖さを感じながら地域に出ました。
しかし、それでも最初は通用しないことが多かったです。
例えば、急性腰痛の方に訪問し評価すると肋骨の位置は一定なのに、骨盤は一側に傾き、ASIS,PSIS,腸骨稜の触診から捻じれではない事を確認し、DISC障害を疑い、マッケンジー体操で改善。歩けない状態から歩けるようになったと喜んでくれて、こちらも意気揚々と帰りました。
しかし次の週の訪問は拒否の連絡。
何故だか調べると、訪問した次の日にまた痛くなっていて、あれだけ喜んでくれた本人からは、触られたから痛くなったと言われ訪問拒否だったとの事。
なんてトホホなこともありました。
改善したとはいえ、髄核が出やすい方向ができていたわけですから、技術が足りておらず、 矯正力が足りていないのなら、他の方法を考えなければなりません。
それができていなかったので簡単に再発したのだと思いました。
今ではこういうケースでは座位姿勢、臥位姿勢を中心に、なるべく腰椎前弯となるような環境のアプローチと、痛みへの説明をし、対処法の提案、そして痛みと上手く付き合うという話を欠かしません。また皮膚へのアプローチを考えた方法もあります。
そうやって臨床で泣かされて、考えてを繰り返しましたが、結局、方向はより解剖学、運動学、生理学に深く落とし込んでいく事でした。
そこから在宅でのアプローチが見えてきたと思います。
例えば最近だと、強烈な円背で座位で顔が上げれない、いつも下しか向けない方を、普通に顔が上がって座れるようになり、普通に家族とコミュニケーションがとれ、日中もTVを見れたり、テーブルの上の水分や食事をとれたりできたケースが2事例あります。
まだまだアプローチとしては未熟ですし、まだまだ他の症状にも対応できるようにならなければならないですが、ひとまずその状態の評価に一定の方法論ができてきた手応えは持っています。
また、我々が臨床で相手にする人はほとんどが素人です。
そしてリハビリテーションを考えたパートナの関係性を築いていくためには、その素人の方の身体に起きている事に対して、また今後どうしていけばどういった可能性が広がるのか、こちらからのできるだけわかりやすい説明が必要です。それが家族に対してでも同様です。
実際には、患者さんには説明を嫌がる方もいますが、望む人も多くいます。嫌がる人には言わなかったらいいですが、望む人にはできないといけません。
まず基礎学問から考える力を持ち、それを噛み砕いた説明ができる、それが在宅で医学的リハビリテーションを行う療法士の必須条件だと思います。
そういった取り組みを行えば、様々な症状によっても、先ほどのような評価方法を確立させていく事が可能だと思います。
決してすべての症状に対しては難しいですが、ある程度の事は共有が可能だと考えています。
共有できる評価は共有、それに対する治療手段は個人の自由というスタイルです。
そしてその上で、医学的リハビリテーションからの視点だと、効果のでない療法はまったく意味がないですから、効果がなかなか見られなくても、過程の中では、少しずつでも前進している事を確認しながら進めていけることが大事だと思います。
よく生活期では自主トレ―ニング方法が大事となりますが、療法士が提示する場合はプロとして提示できていないといけません。何故それをするのかは、当然評価に基づいて行われるべきものです。
また○○の運動をやったらよくなる、よくなったというのは、それで結果が出ているのなら、何故それで結果が出るのかを考えないといけません。
それにより新しく評価をすべきことが見えてくると考えています。
評価を共有。
今後、療法士同士でこの方向性を共有し、一定の効果を出していく方法を蓄積していく、そんな事業所を作っていきたいと願っています。
これは起業して本当にやりたかったことです!
私もまだまだまだまだかみ砕けていない事ばかりですし、そしてそれに終わりはないです。
そんなに自分が勉強している方ではないと思っていますし、周りに強要するつもりはないです。
ただ生活期において訪問という仕事の中で、療法士がしっかりとまず自分の役割を果たしていくためには、この方向性は共有できないといけないと感じています。
そして療法士がリハビリテーションを考えるならば、医学的リハビリテーションに対しては効果が出るものしか通用しないのが現実、それならば基礎学問から考えれる療法士であれ。
と日々思います。