マインドの中にある不健全なガラクタは自分で自覚できる。
しかし問題なのはそれを自分で肯定してしまうことであろう。
これは実に死活問題だが、さらっと通り過ぎてしまう。
しかし、一人になって、ゆっくりこれらのガラクタと向き合う時、それらをイメージの中で、また、聖書の言葉と照らし合わせて、処理していくことができる。これがまさに祈りの本質的な部分ではないかと感じる。
以下がガラクタのコレクションだ。これらの感情は非常に有害な毒を脳内、マインド内、体内で撒き散らす。
もっとも恐ろしいのは『不信』である。(マタイ13:58)
その他、
無慈悲、憤り、怒り、騒ぎ、そしり、敵意、争い、嫉み、妬み、泥酔、宴楽、悪意、恥ずべき言葉、党派心、ざんげん、高慢、殺人、まじない、汚れ、好色、不品行、盗み、情欲、悪欲、貪欲、偶像礼拝
(ガラテヤ5:19−21、コロサイ3:5 他)
これらを以下に置き換えていくことが大切。
愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制
(ガラテヤ5:22−23)
『しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。 』
黙示録21:8
