彼はどうして「ゴー宣ファン」を名乗ってしまったんでしょうねえ…

もしも「世界のおぼっちゃまくんファン」だったら、仮に「『おぼっちゃまくん』も『ドラゴンボール』と同じ、バトル漫画だ!」とか言ったとしても、ヘンな読み方をする人もいるもんだなあ、で済んだでしょう。
他の何の漫画であっても、「読み方は人それぞれ。どう読んでもいい」で通用したかもしれません(厳密にいえば、それにも限度はあると思いますが)。

しかし世界で一作品だけ「読み方は人それぞれ。どう読んでもいい」が許されない漫画があります。
それが、世界唯一の思想漫画『ゴーマニズム宣言』なのです。
彼はそれを理解していませんでした。
『ゴー宣』が「思想漫画」であることも、それ以前に「思想」とは何なのかも、わかっていなかったのかもしれません。(中略)

ヘビーもライトもありません! 本当に『ゴー宣』ファンなら、よしりんの下に来ればいいじゃないですか!

ゴー宣道場が初めて地方で開催されたのは彼の働きによるものだったし、コロナワクチンの意見広告運動においては彼のサイトが大きく役立ったことなど、功績があったことは認めます。
しかし、それはコロナ論における井上正康氏の功績を認めることと同じです。

これまで、限定されたテーマにおいては共闘出来て、功績のあった人は何人もいました。そしてその多くが、別の場面では失望させられるという結果になりました。
結局は、何を目的としているのか、思想を共有できるのかというところで決まってしまうのです。

根本の部分が違っていれば、何をどうしたっていつかは破綻が来るものなのだと、今回改めて思い知らされた次第です。

諸君!ゴー宣読んで政府の犬どもを罵ろう!!俺もゴー宣読んでます。