雑記「リビドー…。」
先日、自分は怠惰な性格だという話をしましたが、
自分の中で気づいたことがあったので、書き留めておきたいと思います。
ずーっと前にフロイトの本を読みました。そこに出てくる、エスとリビドーと自我という概念がありますが、ちょっと説明します。
エスは、無意識にある様々な欲動の総称で、欲動を満足させるために活動します。
リビドーとは、エスから出るエネルギーです。
自我は、リビドーをコントロールします。
通常の社会生活では自分が常識の範囲内で、様々な欲求であるリビドーを自我で抑えています。自我が弱いとリビドーの暴走が起きて、欲求の赴くまま行動してしまうことになるでしょう。
フロイトは、リビドーを性的衝動と限定しています。
僕の考えとして近いのは、フロイトの弟子のユングが考えるリビドーで、彼は全ての本能のエネルギーをリビドーと言ったそうです。
えーっと説明が長くなりすぎましたが、自分が気づいたことというのは、僕は自我が弱く、リビドーを抑えきれてないというのは、すごく強く感じました。
具体的には、休日に寝たいだけ寝る。朝起きられない。やりたい事がたくさんあってもやらない。めんどくさがり屋である。などなど数限りなくあります。
自分の欲求の赴くまま過ごしている時というのは、自分自身がとても怠惰であるなと気づいたし、その時ってのは、自我が弱い状態にあると思ったのです。
ではこれからどうありたいと思うのか?
思ったのは、とにかくリビドーを自我で抑制出来るようになっていく事です。
考えてみると、自分が良い状態の時、つまり怠惰な状態から少し離れている時ってのは、様々な欲を意識して抑える事が出来ていた。つまり、リビドーを自分のコントロール下に押さえ込むことが出来ていました。
自分がどうありたいのかを簡単に書くと、自分の欲求の赴くままに生きるのではなく、自分のコントロール下に欲求を置いて、自分の意識してやりたい事を実行していこうではないか!ということです。
思えば、風邪をひいて二日間仕事を休みましたが、この風邪自体も自分の怠惰な部分が招いたものであって、自己管理不行き届き以外の何者でもありません。ここのところの、休日の怠惰さは、とても恥ずかしい限りです。
自分の中のすごく弱い部分、リビドーを抑えられない自分を認めますが、自我を強くして行こう!と思った深夜2時半でした。
最後に、最近読んでいる「超訳 ニーチェの言葉」
の冒頭で僕の心を揺さぶった部分を紹介します。
「初めの一歩は自分への尊敬から」
自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。
それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。
そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。
まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を
人間として尊敬するんだ。
自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。
人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、
他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。
自分の人生をまっとうさせるために、
まずは自分を尊敬しよう。
自分を尊敬する気持ち、自分は尊厳のあるひとりの人間であるというのは、まだ何もなし得ていなくても厳然たる事実ですよね。自分を尊敬する気持ちを持っていれば、様々な局面の時に強くいられるような気がします。自分が良くあるための根底に、それが必要だと思った次第です。
長くなりました。これだけ長い文を読んでくれた人がいるのならば、感謝します。
ではまた!
自分の中で気づいたことがあったので、書き留めておきたいと思います。
ずーっと前にフロイトの本を読みました。そこに出てくる、エスとリビドーと自我という概念がありますが、ちょっと説明します。
エスは、無意識にある様々な欲動の総称で、欲動を満足させるために活動します。
リビドーとは、エスから出るエネルギーです。
自我は、リビドーをコントロールします。
通常の社会生活では自分が常識の範囲内で、様々な欲求であるリビドーを自我で抑えています。自我が弱いとリビドーの暴走が起きて、欲求の赴くまま行動してしまうことになるでしょう。
フロイトは、リビドーを性的衝動と限定しています。
僕の考えとして近いのは、フロイトの弟子のユングが考えるリビドーで、彼は全ての本能のエネルギーをリビドーと言ったそうです。
えーっと説明が長くなりすぎましたが、自分が気づいたことというのは、僕は自我が弱く、リビドーを抑えきれてないというのは、すごく強く感じました。
具体的には、休日に寝たいだけ寝る。朝起きられない。やりたい事がたくさんあってもやらない。めんどくさがり屋である。などなど数限りなくあります。
自分の欲求の赴くまま過ごしている時というのは、自分自身がとても怠惰であるなと気づいたし、その時ってのは、自我が弱い状態にあると思ったのです。
ではこれからどうありたいと思うのか?
思ったのは、とにかくリビドーを自我で抑制出来るようになっていく事です。
考えてみると、自分が良い状態の時、つまり怠惰な状態から少し離れている時ってのは、様々な欲を意識して抑える事が出来ていた。つまり、リビドーを自分のコントロール下に押さえ込むことが出来ていました。
自分がどうありたいのかを簡単に書くと、自分の欲求の赴くままに生きるのではなく、自分のコントロール下に欲求を置いて、自分の意識してやりたい事を実行していこうではないか!ということです。
思えば、風邪をひいて二日間仕事を休みましたが、この風邪自体も自分の怠惰な部分が招いたものであって、自己管理不行き届き以外の何者でもありません。ここのところの、休日の怠惰さは、とても恥ずかしい限りです。
自分の中のすごく弱い部分、リビドーを抑えられない自分を認めますが、自我を強くして行こう!と思った深夜2時半でした。
最後に、最近読んでいる「超訳 ニーチェの言葉」
「初めの一歩は自分への尊敬から」
自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。
それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。
そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。
まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を
人間として尊敬するんだ。
自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。
人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、
他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。
自分の人生をまっとうさせるために、
まずは自分を尊敬しよう。
自分を尊敬する気持ち、自分は尊厳のあるひとりの人間であるというのは、まだ何もなし得ていなくても厳然たる事実ですよね。自分を尊敬する気持ちを持っていれば、様々な局面の時に強くいられるような気がします。自分が良くあるための根底に、それが必要だと思った次第です。
長くなりました。これだけ長い文を読んでくれた人がいるのならば、感謝します。
ではまた!