旅行3日目は、ブラチスラバです

ハンガリーからオーストリアまでの移動の途中、
スロバキヤの首都である、ブラスチラバ観光をしました



まわりに海はないので、ランチは川魚のマスでした

うんちく①(めっちゃ簡単にまとめてます)
スロバキヤは、10世紀頃ハンガリー王国の支配下にあり、その後、オーストリア帝国時代には、自らスロバキア人と主張するようになりました。
第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国から、チェコスロバキアとして独立し、一時スロバキア共和国となりましたが、チェコスロバキア共和国が再興し、1993年に現在のスロバキア共和国となりました。
私達の世代は、チェコスロバキア共和国と、学校で習ったけれど、私の子供の世代では、チェコとスロバキアは、別の国でした。
歴史というより、歳を感じるわ(^▽^;)
次男曰く、チェコ語とスロバキア語は、日本で例えると、地方の人同士が話していて、なまりや方言が混じってはいるけれど、お互い理解できる範囲ということでした
そりゃそうだろうね。昔は一つの国だったんだから…


ハスクブルグ家の影響で、お城の壁の色は、マリアテレージアの好きなクリーム色なんだそうです。
うんちく②
マリアテレージアとは、
マリーアントワネットの母というと、わかりやすいと思います。
ハスクブルグ家に男の子が生まれなかったため、女帝となり、ハンガリー王、ボヘミア王、オーストリア大公という称号を持ちます。
マリアテレジア自身は、恋愛結婚でしたが、16人子供を持ち、自分の子を諸外国との同盟のため、国外に嫁がせました。政略結婚をさせて、勢力拡大していきます。
「戦は他国にやらせておけ、汝は結婚せよ」
そして、40年もの間、君臨し続けたそうです。
うんちく!?③
勢力拡大のため、他国と政略結婚を行っていましたが、それ以外では、他の一族との結婚で、勢力を奪われるのを恐れ、姻族結婚を繰り返し、そのため、しゃくれ顔・分厚い唇という風貌が特徴になったそうです。
また、病弱だったり、精神的障害があったりしたそうです。







可愛いショウウインドウが、沢山あって、見てるだけでも楽しめました(o^-')b
















残念なことに、ブラスチラバは観光地としては可愛らしくていいけれど、
首都としては、こじんまりとしていて、どこか淋しい感じの街でした。
大国に支配されては、独立を繰り返していたからでしょうか・・・
いよいよ次はウィーンです

今日も読んでくださりありがとうございます

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく降り注ぎます

愛と光と感謝を込めて
